20世紀日本人名事典 「ラクチョウのお時」の解説
ラクチョウのお時
ラクチョウノオトキ
- 生年
- 昭和3(1928)年
- 没年
- (没年不詳)
- 出生地
- 東京
- 本名
- 西田 時子
- 経歴
- 太平洋戦争中の空襲で肉親と別れたといい、本名など素性ははっきりしないが、戦後廃墟となっていた東京・有楽町で日劇の地下をねぐらに、パンパン(娼婦)の群れに身を投じる。昭和22年当時、ガード下に立つ街娼はざっと150人で、ラクチョウ界わいの女親分“夜嵐あけみ”の妹分として名を知られる。同年4月、NHKの藤倉修一アナが隠しマイクでお時にインタビューし、「街頭録音」の時間に「ガード下の娘たち」と題して放送されると、大きな反響を呼んだ。この放送のあと、お時は姿を消し、千葉県市川市の鼻緒工場に就職して更生する。そして23年1月14日の「社会探訪・ガード下の娘後日談」で、世間の冷たい目を歯を食いしばってこらえながら働くその姿が紹介された。その後、焼鳥屋、結婚、離婚、クラブのママ、と変転が伝えられたが、消息不明に。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報