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街娼 ガイショウ

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デジタル大辞泉の解説

がい‐しょう〔‐シヤウ〕【街×娼】

街頭で客をさそう売春婦。

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世界大百科事典 第2版の解説

がいしょう【街娼】

街頭で客を誘う売春婦の総称。他の売春婦がその居住する家に客を迎え,あるいは客の招請に応じて接客場所へ行くのに対し,みずから街頭に出て誘客するのを特色とする。直接誘客せずに媒淫者(ぽん引などという)が仲介する場合にも,街娼自身がその場所に同行しているのを原則とする。接客場所は自家あるいは特定の旅館などを利用するが,最下級のものは野外での接客も珍しくない。 街娼という呼称は大正末期ごろから用いられはじめ,一般化したのは第2次大戦後のことであるが,その同類は古くから存在した。

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大辞林 第三版の解説

がいしょう【街娼】

街頭で客を引いて、売春する女。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

街娼
がいしょう

街頭で誘客する売春婦。少数ながら男性の街娼がいる。街娼の用語は、欧米の市街地に出没する路上売春婦に似た娼婦が日本にも現れるようになったあと、大正末ごろに使い始められたものだが、特定の形態に限らずに街頭売春婦の総称として使っている。売春の起源形態にあげられる遊行女(うかれめ)は街娼とはいえないが、平安時代に淀(よど)川下流の江口、神崎などで小舟に乗って客を誘った遊女を、街娼の特殊な形態とみることができる。同様の水上売春婦には、琵琶(びわ)湖の朝妻(あさづま)船や、江戸時代には江戸の船饅頭(ふなまんじゅう)、大坂のピンショ、志摩のはしりがね、瀬戸内海のおちょろなどが知られる。いずれも港湾などで停泊中の水路旅人や船員を客にした売春婦である。平安中期の『和名抄(わみょうしょう)』に遊女の別称として夜発(やほち)の語がみえ、後年には街娼の異名に用いられたが、当初から街娼を意味したかは断定できない。夜間の人通りなどを考えると、あまり古くにさかのぼることはなかろう。したがって、陸上の街娼としては、室町時代の京都における立君(たちぎみ)が確認できる古い例であるが(『七十一番職人歌合(うたあわせ)』)、宵から出没したこと以外の詳しいことは不明である。
 街娼の活躍は都会が発達してくる近世以後のことで、とくに三都(京都、江戸、大坂)を中心に多くの街娼が出現した。江戸で夜鷹(よたか)、京都で立君、大坂では惣嫁(そうか)または白湯文字(しろゆもじ)とよぶのが代表的名称であった。いずれも、夕刻以後に河岸端(かしばた)や小路に出て、下層労働者らを相手に路上で売春する最下級の売春婦とされた。売春料は、元禄(げんろく)時代(1688~1704)で10文、江戸後期には24~100文であった。明治維新以後は社会経済生活の変化に伴って都市下層民が増大し、需給の両面から底辺の街娼が増える傾向にあった。一方では、開港地横浜に出現した外国人相手の街娼のように、服装も整い、一般の街娼が10~30銭の売春料であるのに3~5円をとるなど、従来の街娼とは違った高級街娼が現れた。同種の街娼は東京・銀座などの繁華街にも出没するようになったが、接客場所は路上でなく待合や旅館を利用した。
 第二次世界大戦後、占領軍兵士を対象とする街娼が出現して、その数が多いことや人目をはばからぬ行動などもあって社会問題となった。敗戦による社会的変動と経済的貧困とが街娼の発生を促していたところへ、従前の慰安施設への占領軍兵士の立ち入りを禁じたため、被進駐都市では街娼が急増したものである。これには、諸秩序の崩壊とともに、抑圧された性意識の変革などの精神的要因が敗戦者意識のなかに介在したことが認められる。当初、闇(やみ)の女とよんだのは、非公認を意味する流行語「やみ」の派生語で、戦前に使われた暗黒街の女性という意味の用語との関連性はない。その後、夜の女、パンパンガールなどの名称も用いられた。街娼は、他の私娼が前借金などで拘束されるのに反し、本人の意志でかってに営業できる自由があるようにみえるが、暴力による強制就業が少なからず、また自衛のためもあってヒモと絶縁できぬ例が多い。麻薬や覚醒剤(かくせいざい)の常用者が多いのは暴力組織との関係を示している。1956年(昭和31)9月の全国街娼数は1万3406人と報告されているが(厚生省調査)、その後は取締りの強化や性産業の多様化によって、コールガール、チラシカード、ピンクバーなどが続出したため街娼は減少傾向にみえるが、酒場などを利用した高級街娼が一部に残り、そのなかには外国女性が含まれるに至っている。[原島陽一]

外国

史的にみると、娼婦は異民族・異部族間の征服・接触・交流・通商などの状況下に生まれており、街娼は娼婦の最下層を形成している。古代社会では、イスラエルで旅行者相手の街娼がいたし、古代ギリシアやローマでも娼家の娼婦以外の街娼がいた。そのなかでもローマの細民街スプウレのリュバナール(「牝狼(ひんろう)の巣」の意)が有名だが、牝狼という名前は夜になると出没するためである。中世では、十字軍の遠征軍の通過する町々に騎士相手の街娼がいた。
 中国では、官妓(かんぎ)と街娼を区別し、後者を私(しかし)・暗門子・半開門などとよんでいたが、清(しん)朝のころは上海(シャンハイ)で街娼をあからさまに「野鶏(イエチ)」とさげすんでいた。
 街娼は公娼の制度や組織を乱すものとして諸国で取締りの対象であったが、街娼問題がとくに切実になったのは、コロンブスの水夫たちが15世紀のイタリアに持ち帰った梅毒が各地に猛威を振るいだしたためである。梅毒は品行方正な男女にも及ぶ。17世紀にはロンドンに5万人、パリに1万3000人の娼婦がいたといわれるが、そのうちの街娼には性病対策コントロールが及ばない。そのため街娼が社会問題化し、パリでは1785年に売春登録制を設定し、1899年の国際ロンドン会議以来どこの国でも性病防止対策を考え、売春禁止令を出す国々も増えたが、もぐりの街娼は消え去らない。[深作光貞]

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世界大百科事典内の街娼の言及

【夜鷹】より

…街娼の別称として,おもに江戸で用いられたことば。当時の街娼は夕暮れ以後に出没したので,夜行性の鳥の名を借りた隠語が通称になったと考えられるが詳細は不明。…

※「街娼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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