改訂新版 世界大百科事典 「ラシャロテー」の意味・わかりやすい解説
ラ・シャロテー
Louis René Caradeuc de La Chalotais
生没年:1701-85
フランスの行政官,政治家。レンヌの名家に生まれ,同地に没す。レンヌの高等法院の検事長を経て,1752年検事総長。イエズス会士ラ・バレットに対する損害賠償請求訴訟に端を発してイエズス会の会憲の検討報告書の作成にあたり,この報告書にもとづき同州からのイエズス会の追放がなされ,これを契機に64年全フランスから同会が追放された。この追放によって生じた中等教育の空白をうめるべく,家族主義国家観にたち国家が教育権を握るべしとする,教育史上最初の国民教育論を展開し,ボルテールの助言をうけて,1763年覚書にまとめたのが《国民教育論Essai d'éducation nationale ou plan d'études pour la jeunesse》である。民衆の教育を否定し,エリート養成に力をそそぎ,宗教教育の排除,自然科学の採用など教育内容の近代化を絶対主義の枠内で主張した。本書は彼の生涯の力作として加筆がつづけられ,オランダ(1767),ロシア(1770),ドイツ(1771)など各国で翻訳紹介された。65年政争にまきこまれ,10年ほど政治犯として幽閉されたが,復職した。
執筆者:古沢 常雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報