フランス西部、イル・エ・ビレーヌ県の県都。パリ西南西344キロメートル、ブルターニュ半島東部内陸、レンヌ盆地のイル川とビレーヌ川との合流部に位置する。人口20万6229(1999)、21万5366(2015センサス)。ブルターニュ地方内陸唯一の大都市であり、同地方の中心都市。大学、大司教座、控訴院が置かれ、行政、司法、宗教、商業の機能が卓越し、その影響圏はブルターニュ地方東部一帯に及ぶ。1950年代以降、従来の印刷、繊維、食品の各工業に加えて、自動車産業を中心に工業化が進み、さらに近年は電子工業が盛んとなった。鉄道・道路網の発達によってパリとの結び付きが強まり、工業化が促進された。肥沃(ひよく)な土地に位置することから、古代ローマの属州ガリアの時代から繁栄し、歴史的建造物が多い。1720年に火災があって市街地が焼けたが、裁判所(1618~1655年のブルターニュの議事堂)、市庁舎(18世紀)、大聖堂(18、19世紀)などが残る。ガリア時代はケルト系のレドネス人Redonesの中心地となり、地名はこの部族名に由来する。中世に繁栄し、ナントとブルターニュ公領の首都の座を争った。フランス革命中の1793年には王党派のバンデーの反乱に対する共和派の拠点となった。第二次世界大戦中には大きな被害があった。
[高橋伸夫]
フランス北西部,ブルターニュ半島,イル・エ・ビレーヌ県の県都。人口20万6229(1999)。イル川とビレーヌ川の合流点にあり,5世紀ごろまでコンダテ(ケルト語で〈合流点〉の意)と呼ばれて,カエサルの定めたレドネス族の主都であった。ブルターニュ公国成立(9世紀)後は公の居城があり,商工業の活発な港湾をもつナントと首都の地位を争った。フランス王国へ併合(1532)されてのちは革命に至るまで,ブルターニュの州権を代表する高等法院が当地に置かれ,首都の地位を固めた。1720年に大火があったため古い建物は少ないが,ジャック・ガブリエル(1667-1742)の都市計画で再建された都心は,行政,教育,文化の中心地にふさわしい景観を呈している。近年郊外にシトロエンの自動車工場など大工場が進出し,郊外住宅地も拡大して,経済的機能も次第に強化されつつある。
執筆者:田辺 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新