日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラルーサ」の意味・わかりやすい解説
ラルーサ
らるーさ
Tony LaRussa
(1944― )
アメリカのプロ野球監督。本名Anthony LaRussa Jr.。大リーグ(メジャー・リーグ)のシカゴ・ホワイトソックス、オークランド・アスレチックス、セントルイス・カージナルスで監督を務める。綿密なゲームプランの下で試合を進め、アスレチックス、そしてカージナルスで強豪チームをつくりあげ、1983年創設された最優秀監督賞を史上最多の4回(2007年現在)獲得している。
10月4日、フロリダ州タンパで生まれる。ジェファーソン高から1962年、カンザスシティ(現オークランド)・アスレチックスに入団、以後アトランタ・ブレーブス、シカゴ・カブスで内野手としてプレーしたが、ほとんど芽が出ず、77年を最後に引退した。1978年からマイナー・リーグのAA級で監督業に入り、翌年途中からホワイトソックス監督に昇格。1983年には球団に24年ぶりの地区優勝をもたらしてその名を広め、最初の最優秀監督賞に選ばれた。1986年シーズン途中で解任されると、約2週間後にアスレチックスの監督に就任した。ホセ・カンセコJose Canseco(1964― )、マーク・マグワイアの2人の長距離打者を中軸に据えた強力打線で1988年から3年連続リーグ優勝を果たし、89年にはサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールド・シリーズでストレート勝ちして世界一となった。アスレチックス時代には1988年と地区優勝した92年の2回、最優秀監督賞となった。1996年からはカージナルスの監督となったが、1年目に地区優勝、2000年から2002年までは3年連続地区優勝で、2002年は4回目、ナショナル・リーグでは初の最優秀監督となった。2004年には史上8人目の通算2000勝をマークするとともに、チームを17年ぶりのリーグ優勝に導いた。2005年にはスパーキー・アンダーソンSparky Anderson(1934― )を抜く、通算2195勝をあげて、歴代3位の勝利数を記録した。2006年は主力選手の故障が相次ぎ、苦しいシーズンになったが、好采配をみせて、チームを1982年以来のワールド・シリーズ優勝に導いた。
[出村義和]
2007年以降
カージナルスの監督となって12年目の2007年は、78勝84敗、勝率は4割8分1厘と5割を切り、中地区3位に終わった。
監督としての2007年までの通算成績は、2375勝2070敗、最優秀監督賞4回。
[編集部]