ルッジェーリ(英語表記)Michele Ruggieri

デジタル大辞泉 「ルッジェーリ」の意味・読み・例文・類語

ルッジェーリ(Michele Ruggieri)

[1543~1607]イタリアイエズス会士中国名、羅明堅インド・中国で伝道活動を行った。著「天主聖教実録」。

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精選版 日本国語大辞典 「ルッジェーリ」の意味・読み・例文・類語

ルッジェーリ

  1. ( Michele Ruggieri ミケーレ━ ) イタリアのイエズス会士。中国名、羅明堅。東方伝道を志し、インド・中国に布教した。(一五四三‐一六〇七

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改訂新版 世界大百科事典 「ルッジェーリ」の意味・わかりやすい解説

ルッジェーリ
Michele Ruggieri
生没年:1543-1607

近世の中国へはじめて入国,布教したイエズス会士。その姓はあるいはRuggiero,ラテン名のRuggeriusも用いられる。中国名は羅明堅。ナポリ王国出身のイタリア人。29歳で入会し,1578年にゴア,翌年澳門(マカオ)へ赴く。東洋総巡察使のアレッサンドロ・バリニャーノから中国語修得を命ぜられ,82年(万暦10)には広州に入ることに成功した。時計などの珍奇な品で両広総督陳瑞の歓心を買い,同年,広東省肇慶ちようけい)にフランチェスコ・パジオ神父を伴って定住することを許された。やがて引返したが,翌83年あらためてマテオ・リッチ(利瑪竇(りまとう))とともに肇慶に赴き,布教につとめた。その著《天主聖教実録》(1584)は近世における最初の漢文による教義書である。88年,45歳に達し中国語修得の能力にも限界がみえてきたので,会の方針によりローマ教皇宣教師の派遣を訴えるために帰欧したが,法王が相ついで死去交代したため目的を達することができず,故郷のサレルノに引退してそこで没した。
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