近世の中国へはじめて入国,布教したイエズス会士。その姓はあるいはRuggiero,ラテン名のRuggeriusも用いられる。中国名は羅明堅。ナポリ王国出身のイタリア人。29歳で入会し,1578年にゴア,翌年澳門(マカオ)へ赴く。東洋総巡察使のアレッサンドロ・バリニャーノから中国語修得を命ぜられ,82年(万暦10)には広州に入ることに成功した。時計などの珍奇な品で両広総督陳瑞の歓心を買い,同年,広東省肇慶(ちようけい)にフランチェスコ・パジオ神父を伴って定住することを許された。やがて引返したが,翌83年あらためてマテオ・リッチ(利瑪竇(りまとう))とともに肇慶に赴き,布教につとめた。その著《天主聖教実録》(1584)は近世における最初の漢文による教義書である。88年,45歳に達し中国語修得の能力にも限界がみえてきたので,会の方針によりローマ教皇に宣教師の派遣を訴えるために帰欧したが,法王が相ついで死去交代したため目的を達することができず,故郷のサレルノに引退してそこで没した。
執筆者:春名 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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