ゴア(読み)ごあ(英語表記)Albert Arnold Gore Jr.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴア」の意味・わかりやすい解説

ゴア(インド)
ごあ
Goa

インド南西部の州。アラビア海に面し、マハラシュトラ州カルナータカ州に接する。ゴア島とこれに接する南北104キロメートルの海岸地帯からなる。中心地はパナジー。州の面積は3702平方キロメートル、人口134万3998(2001)、145万8545(2011センサス)。主穀として米、小麦、ココナッツを生産し、マンガン鉄鉱石ボーキサイトが輸出される。バスコ・ダ・ガマには大精油所がある。漁業も盛んで、漁獲高は年間4万6000トンに上る。マルマガオはムンバイ(ボンベイ)と並ぶインド有数の貿易港である。16世紀初頭以来、ポルトガルの東洋貿易の根拠地として繁栄を極め、市民生活のなかにラテン文化の浸透が著しい。美術、商業、理工など各分野のカレッジが9校あり、識字率も他の地域に比して高い。人口の36%はカトリック教徒である。ゴア大聖堂は旧ポルトガル帝国で最大の規模を誇り、聖フランシスコ・ザビエルの霊が祀(まつ)られている。ほかにサンタ・モニカ修道院、聖アントニー教会などがあり、ポルトガル領時代の景観を今日に伝えている。言語は公用語としてマラーティー語、コーンカニー語が話される。

[米田 巌]

歴史

すでに紀元前4~前2世紀にマウリア朝の支配下にあった。1347年ビジャヤナガル王国の領地となったが、1489年にアーディル・シャーヒー朝下に移った。

 1498年にバスコ・ダ・ガマがコジコーデカリカット)近くに上陸し、1510年ポルトガル総督アルブケルケがゴアに入った。ゴアのキリスト教化は1542年のザビエルの到来によって加速された。この間ポルトガルはカンベイ湾口のダマンディウを占領し、マラータ王国軍との衝突を繰り返した。領土内住民の反乱も多く、450年間のポルトガル支配下で40件の武装蜂起(ほうき)があった。1852年と1895年のラーネー人による反乱はもっとも有名である。

 1910年のポルトガルにおける共和制の成立でゴアは部分的自治を得たが、1926年の反革命により圧政は強化された。1930年にはイギリス領インド内の民族運動の影響でT・B・クンハーらによるゴア会議派委員会が設立され、インド国民会議派との連携のうえで活動が進められた。1946年にはインドの社会主義者R・M・ローヒアがゴアに入り、その指導でゴア国民会議派が結成された。ポルトガルはこれらの動きを徹底的に弾圧した。インド独立の1947年8月以降ポルトガルはゴア人懐柔策に出たが、住民は非暴力抵抗運動を展開した。1953年にはゴア行動委員会が設立され、ゴア外の多くの人々も加わってふたたび抵抗運動を継続した。これらのゴア解放闘争に対しポルトガルは無差別の大量虐殺によって応じたが、このあと自由ゴーマンタク党やゴア解放軍などが次々結成され、ゲリラ戦を含む長い闘争に入った。

 1961年、ポルトガル軍のインド船への発砲をきっかけに、12月16日インド軍が首都パナジーに進入し、ゴアは解放された。1962年6月からゴアはダマンDaman、ディウDiuとともに中央政府直轄地区、1987年ダマン、ディウを分割して州となった。

[内藤雅雄]


ゴア(Albert Gore Jr.)
ごあ
Albert Arnold Gore Jr.
(1948― )

アメリカの政治家。クリントン政権の副大統領(在職1993~2001)。テネシー州選出の上院議員の長男として、ワシントンDCで生まれる。ハーバード大学卒業後ベトナム戦争に従軍。その後バンダービルト大学で学び、テネシー州の地方紙記者を経て、1976年に下院議員に初当選し、以後4期。1984年には上院議員になった。民主党を代表する安全保障、軍縮、地球環境問題の専門家で、日本、ヨーロッパ諸国の議員と地球環境国際議員連盟を結成した。1988年の民主党の大統領候補指名争いに敗れたが、1993年に第45代副大統領に就任し、同じ南部出身の大統領クリントンとベビーブーマー・コンビを組んだ。地球温暖化の防止、教育改革、情報化などの分野で政府の牽引(けんいん)役を務めたが、クリントンが再選された1996年の大統領選挙に絡んで、民主党の集金工作に不正な手段でかかわった疑惑を批判された。2000年大統領選挙では党候補となり、共和党候補G・W・ブッシュと争い、僅差(きんさ)で敗れた。選挙後は地球温暖化防止を訴えるための講演活動を世界各国で行う。こうした活動がドキュメンタリー映画、『不都合な真実』An Inconvenient Truth(2006)となり、同作品は2007年アカデミー最優秀長編ドキュメンタリー賞ほか、多くの映画賞を獲得した。2007年人為的な気候変動に対する知識を広めた努力が評価され、気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change=IPCC)とともにノーベル平和賞を受賞した。著書に『地球の掟(おきて)』Earth in the Balance(1992)がある。

[村松泰雄]

『小杉隆訳『地球の掟――文明と環境のバランスを求めて』(1992・ダイヤモンド社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴア」の意味・わかりやすい解説

ゴア
Gore, Charles

[生]1853.1.22. ウィンブルドン
[没]1932.1.17. ロンドン
イギリス国教会の神学者,主教。オックスフォード大学に学ぶ。オックスフォードの神学者たちによる,主として受肉に関する神学論文集『世の光』 Lux mundi (1889) 刊行に尽力。そのなかの彼の論文は保守派からの反論を浴びた。一貫して高教会主義に立ち,受肉説を基に伝統神学を新時代に生かそうとした。 1892年男子修道会設立。 1911~19年オックスフォード教区主教。 24~28年ロンドン大学神学部長。主著『教会と聖務』 The Church and the Ministry (89) ,『受肉』 The Incarnation (91) ,『聖霊と教会』 The Holy Spirit and the Church (1924) ,『信仰の再建』 The Reconstruction of Belief (3巻,24) 。

ゴア
Gore,Albert

[生]1948.3.31. ワシントンD.C.
アメリカ合衆国の政治家。クリントン政権の副大統領 (1993~2001) 。父はテネシー州選出の元上院議員。ハーバード大学卒業 (1969) ,志願してベトナム戦争に従軍した。故郷の『ナッシュビル・テネシアン』紙の社会部記者を経て,1976年 28歳で連邦下院議員に当選,その後3選し,1985年から上院議員。 1993年ビル・クリントンが大統領に就任するとともに副大統領となり,2期8年間務めたのち,その実績を掲げて 2000年大統領選挙に出馬したものの,共和党候補のジョージ・W.ブッシュに敗れた。国防問題ではタカ派に近かった。環境保護派として活躍し,2007年気候変動に関する政府間パネル IPCCとともにノーベル平和賞を受賞した。

ゴア
gore

服飾用語で,スカートの構成に用いる三角形または台形の布をさす。本来,三角形の土地や布片の意。ゴアを幾枚も継ぎ合せてできる,ウエストで細く裾で広がるスカートをゴアドスカートという。また傘に張る三角形の布もいう。 (→襠〈まち〉 )  

ゴア
Gore

ニュージーランド,サウス島南部の都市。サウスランド地方の北部にあり,周辺の農牧地帯および炭田 (マタウラ炭田など) の中心地。人口1万 988 (1991推計) 。

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