イタリア南部,カンパニア州の都市。同名県の県都。人口13万4820(2005)。農産物,商業,工業(食品,繊維,機械,陶器)の中心地。世界的な保養地アマルフィ海岸,ソレント半島周遊の基地である。エトルリア起源といわれ,ローマ時代サレルヌムSalernumと呼ばれて,近郊のパエストゥムの没落によって政治・経済上重要性を増す。ビザンティンの支配ののち,7世紀中ごろランゴバルド族のベネベント公国領となるが,839年同公国の分割にともなってサレルノ公国の首都となる。11世紀半ばノルマンに征服され,ノルマン王朝の下で11世紀末には〈医学校〉(サレルノ大学)の名声と,南部におけるギリシア,ラテン文化の伝統を維持する〈ギリシアの都〉として知られる。1130年パレルモがシチリア王国の首都になったのちも,王国の半島部の主要都市として繁栄。その後ホーエンシュタウフェン朝期にはナポリに中心が移行したため,サレルノの重要性は減じた。1647年のスペインに対するナポリの反乱はサレルノにも影響を及ぼし,イタリア統一期には活発な闘争の中心地となった。1860年イタリア王国に統合。第2次大戦中の1943年9月,連合国軍はサレルノ南部に上陸し,イタリア解放の端緒となる。44年2~7月,イタリア王国政府の臨時本部があった。
執筆者:望月 一史
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イタリア南部、カンパニア州サレルノ県の県都。人口14万4078(2001国勢調査速報値)。サレルノ湾の北部、イルノ川の河口付近に位置する。紀元前197年、ローマ人によって建設され、ラテン名はサレルヌムSalernum。その後ビザンティンの支配を経て、646年ランゴバルドのベネベント公領となり、とくにアレキ2世ArechiⅡの治世下(757~787)に町としての発展の基礎が築かれた。839年以降はサレルノ公領の首都となり、とりわけグァイマリオ5世GuaimarioⅤ(1027~1052)下の全盛期には、南イタリア一帯に大きな政治的、経済的影響を与えた。
1077年にはノルマンの支配下に入るが、サレルノの重要性は維持された。そのうえ、すでに9世紀初めには存在したといわれるサレルノ医学校を拠点として医学研究が行われ、12、13世紀には、全ヨーロッパ的な名声を博した。現在は商工業都市として栄え、綿業、食品工業(パスタや缶詰の製造)、機械工業が盛んである。ノルマンのロベルト・グイスカルドによって建造された大聖堂(11世紀)がある。近郊にはアマルフィ海岸や古代都市パエストゥムPaestumの遺跡などがあり、観光業も発達している。
[堺 憲一]
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ナポリの南部に位置する港湾都市。起源はギリシア人の植民にあるが,前2世紀初頭にローマの植民市となる。ローマ帝国崩壊後ランゴバルドに征服され,839年には独立侯国を形成。その後,1077年に両シチリア王国に従属し,文化,学術の中心として発展した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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