サレルノ(読み)されるの(英語表記)Salerno

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サレルノ」の意味・わかりやすい解説

サレルノ
されるの
Salerno

イタリア南部、カンパニア州サレルノ県の県都。人口14万4078(2001国勢調査速報値)。サレルノ湾の北部、イルノ川の河口付近に位置する。紀元前197年、ローマ人によって建設され、ラテン名はサレルヌムSalernum。その後ビザンティンの支配を経て、646年ランゴバルドのベネベント公領となり、とくにアレキ2世ArechiⅡの治世下(757~787)に町としての発展の基礎が築かれた。839年以降はサレルノ公領の首都となり、とりわけグァイマリオ5世GuaimarioⅤ(1027~1052)下の全盛期には、南イタリア一帯に大きな政治的、経済的影響を与えた。

 1077年にはノルマンの支配下に入るが、サレルノの重要性は維持された。そのうえ、すでに9世紀初めには存在したといわれるサレルノ医学校を拠点として医学研究が行われ、12、13世紀には、全ヨーロッパ的な名声を博した。現在は商工業都市として栄え、綿業、食品工業(パスタ缶詰の製造)、機械工業が盛んである。ノルマンのロベルト・グイスカルドによって建造された大聖堂(11世紀)がある。近郊にはアマルフィ海岸や古代都市パエストゥムPaestumの遺跡などがあり、観光業も発達している。

[堺 憲一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サレルノ」の意味・わかりやすい解説

サレルノ
Salerno

イタリア南部,カンパーニア州サレルノ県の県都。チレニア海サレルノ湾奥の海港都市。前 197年ローマの植民地となった。 646年ベネベント公国に併合されたが,839~1076年は独立の侯国。 76年ノルマンのロベール・ギスカールに征服されて以後は,シチリア王国あるいはナポリ王国の一部として運命をともにした。この間 10~13世紀に医学を中心とするサレルノ医学校の学問が隆盛をみた。第2次世界大戦中の 1943年9月9日イタリア半島におけるイギリス=アメリカ連合軍の上陸地点となり,ドイツ軍との間に激戦がかわされた。 44年2~6月連合国軍占領下でイタリア王国政府 (バドリオ首相) の所在地となった。オリーブ油,ワイン,果実輸出港。食品,建設資材,繊維製品,機械,陶磁器などの工業が主要産業。ノルマン様式の大聖堂 (9世紀) がある。 80年 11月 23日地震により大きな被害を受けた。人口 13万9019(2011推計)。

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