日本大百科全書(ニッポニカ) 「レルパチェン」の意味・わかりやすい解説
レルパチェン
れるぱちぇん
Ral pa can
(806―841)
ソンツェンガンポ王に始まる吐蕃(とばん)(チベット)王朝の第9世。治世は815年から841年。正式にはチツクデツェンKhri gtsug lde brtsanといい、レルパチェン(長髭(ながひげ))とはその風貌(ふうぼう)につけられたあだ名。祖父チソンデツェン王(第6世)の時代に仏教がインド、中国両国より本格的に導入され、その後破仏状態に陥ったが、父である崇仏王チデソンツェンKhri lde srong brtsan(在位798~815)の後を受けてその事業を継承し、仏教国家としての古代チベット王朝の基盤を築いた。821年、唐との戦争状態を終結させ(唐蕃(とうばん)会盟)、訳経事業に力を注ぎ、チベット最初の訳経目録『デンカルマ』を完成させた。また過剰ともいえる仏教保護政策をとり、ウンチャド大寺院など多くの学堂を建立するなど、仏教興隆に力を入れたが、和平による経済停滞と、教団への乱費によって国力が疲弊した。その結果、国論の分裂を招き、最後は心の病によって没したとも暗殺されたともいわれる。
[沖本克巳 2017年4月18日]