ロシア兵の墓(読み)ろしあへいのはか

日本歴史地名大系 「ロシア兵の墓」の解説

ロシア兵の墓
ろしあへいのはか

来迎寺境内の小丘上にロシア兵の墓がある。日露戦争の際、鴨緑江・旅順・奉天等の戦闘俘虜となったロシア兵のうち、松山に収容されたもの四千人。傷病者が多かったので、松山衛戍病院・公会堂・勧善社・寺院等や城北練兵場(現松山市文京町)のバラック病舎に講和条約締結まで起居した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 遺骸 将兵 墓碑

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む