ロッキードU-2(読み)ロッキードユーに(その他表記)Lockheed U-2

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロッキードU-2」の意味・わかりやすい解説

ロッキードU-2
ロッキードユーに
Lockheed U-2

アメリカ空軍と中央情報局 CIAの要求に基づく戦略偵察機。特殊任務を目的とするもので,スパイ機ともいわれる。 1954年春からロッキードが開発し,1955年8月初飛行した。2万 7000mの高高度を長時間にわたって飛び続け,地上の建造物や,レーダ基地や防空設備などの軍事施設を鮮明な写真に撮ることができる。降着装置は自転車のように前後2輪のみで,離陸の際は左右の翼端に小さな車のついたばね支柱を取り付け,離陸後は切り落として飛行する。生産数は派生型を合わせて 65機以上。アメリカ合衆国冷戦時代,本機をソビエト連邦領域の偵察にも使った。このうち1機が 1960年5月ソ連領内で撃墜され,操縦士フランシス・パワーズが逮捕されて大きな国際問題となり,米ソの対立が表面化した (→U-2型機事件 ) 。U-2の発達型は TR-1と呼ばれる。U-2Bは,エンジンがP&W J75-P-13ターボジェット (推力 7700kg) 1,乗員1,全長 15.1m,主翼翼幅 24.4m,総重量 7180kg,最大速度時速 850km,巡航速度時速 740km,航続距離約 6400km。その後 GE F118-GE-101ターボファン・エンジン (推力 8600kg) を装備するU-2Sが 30機,複座で訓練用のU-2STが4機配備されているが,無人偵察機の発達に伴い引退時期近い

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世界大百科事典(旧版)内のロッキードU-2の言及

【偵察機】より

…初期の偵察機はおもに肉眼で前線の状況や,射撃の弾着の観測を行うものであったが,現在の偵察機は写真・電子偵察を主任務として武装されている。 第2次大戦後,偵察機の存在を世に知らしめたのは,1960年5月1日にソ連領内で偵察飛行中のアメリカ空軍のロッキードU2が撃墜されて操縦士が捕虜となった〈U2型機事件〉であった。U2はアメリカ空軍とCIAが,1957年のソ連のICBM発射成功を背景に戦略偵察用に採用した機体で,55機が製造された。…

※「ロッキードU-2」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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