国家の安全保障や外交政策に資するため,(1)主として秘密裡に他国の情報を獲得し(情報活動あるいは諜報活動),(2)他国に自国の秘密がもれるのを防止し(対情報counterintelligence活動),(3)秘密裡の政治工作等により相手国の行動に影響を与える(謀略活動),などの活動に従事する組織をいう。
情報の重要性については中国最古の兵書《孫子》でも指摘しており,情報活動は古くから行われていた。中世のヨーロッパにおいては組織的な情報活動は行われていなかったが,ルネサンス期のイタリア都市国家は諸外国との通商にその基盤を置いており,情報活動を重視した。特にベネチアは情報入手を主目的として在外公館を設置するなど組織的な情報活動を行った(現在でも各国の在外公館は対外情報活動の拠点であり,各種情報機関員や駐在武官(日本では防衛駐在官)が情報収集に当たっている)。その後しだいに情報活動は活発化していき,19世紀末ころまでには各国の外務省,軍隊等は何らかの情報機関を持つにいたった。こうした情報活動はその後さらに強化され,軍事的にも重要な意味を持つようになる。例えば1941年秋に検挙されたソ連のスパイ,ゾルゲは,在日ドイツ大使館や尾崎秀実を通じ近衛文麿からドイツや日本の政策の最高機密を入手,これをソ連に通報するとともに,尾崎を通じ対ソ戦の回避を働きかけるなど,ソ連の勝利に大きな功績を果たしたとされる。現在では,戦争が総力戦化したこと,国際関係がより緊密になり複雑化したことなどによって,情報活動は一層重要視されている。
必要とする情報のかなりの部分は新聞,雑誌,書籍,ラジオ放送,テレビ放送等のいわゆる公開(公刊)情報の分析によって得られる。秘匿されている情報は,航空機や人工衛星による偵察,通信電波やレーダー電波の傍受,およびスパイ等の活動によって得られる。収集される情報は政治,経済,人口,軍事力,科学技術,工業等の基礎的な資料から,首脳の人物,思想,私生活,人間関係等にいたる多方面なものである。近年,国内外の通信やレーダー電波等,電波の傍受が活発化している。これには,地上の傍受施設のほか,電子偵察機,情報収集艦,偵察衛星等が使用されており,コンピューターを使用して大量のデータが処理されている。
情報の収集をさまたげる活動で,(1)自国の秘密保全--政府機関等内部の不穏分子,あるいは秘密に近づくことのできる者などの監視と,秘密の管理保全のチェック,(2)相手国スパイの監視--外部から上記職員に働きかける者やスパイの可能性の高い者の監視,(3)自国スパイ網の監視,などの活動から構成されている。担当する機関は,任務上から秘密警察としての性格を持ち,司法権によらず被疑者を処断できる権力を持つ場合もある。
対情報活動に分類する場合もある。相手国内の反政府団体への資金援助や政治指導,暗殺や破壊工作等によって相手国の行動に影響を与える活動である。このほか自国の行動の意図をかくすため,偽情報を相手国に流し,相手国を別の解釈に導く欺瞞活動も謀略活動に分類される。
各国の情報機関はほとんど例外なく,公然活動のみならず非公然活動によって情報収集を行っていると見てよいであろう。情報機関は国家機構の中で最も秘密度の高い部門であり,失敗した情報活動の結果,亡命あるいは逮捕された情報員を通じてその一面をうかがいうるのみである。そのため第2次大戦における各国の情報活動の実態についても,一部は最近明らかとなっているが,多くの重要な部分は不明のままである。また各国の政府が自ら行う場合のほか,民間に委託して情報活動を行う場合もあり,実態は把握しにくい。
アメリカでの情報活動は1880年から1900年代の初めころまでは陸・海軍の情報部によっていた。その活動が国家の統制下に行われるようになったのは第2次大戦以後のことである。アメリカの情報機構の中心的役割を果たしている中央情報局(CIA)の萌芽は1942年初めに創設された情報統制局(COI)で,その後第2次大戦中に戦略業務部(OSS)と改称された。OSSは45年9月にいったん解散されたが,46年1月中央情報本部(CIG)として復活,47年9月にCIGに代えCIAが発足,ダレスA.Dullesが長官となり,CIAの名が世界中に知られるようになった。
アメリカの情報機構は大統領の下にある国家安全保障会議(NSC)を頂点とする膨大な組織からなっている。NSCはアメリカ国家政策の方針決定の最高機関で,大統領,副大統領,国務長官,国防長官,緊急計画局長,財務長官が常任のメンバーで,これに国家安全保障問題担当大統領特別補佐官と統合参謀本部議長が加わる。中でも特に重要な役割を果たすのが国家安全保障問題担当大統領特別補佐官とされている。対外活動の中枢はCIAで,情報部はおもに新聞雑誌など公刊された資料の分析を,科学技術部は外国の科学技術情報の収集・分析と情報収集技術の開発を,作戦部はスパイの運用,謀略活動などを担当する。軍事情報活動の中枢は国家安全保障局(NSA)で,偵察衛星の運用,無線の傍受と暗号解読などを担当する。また,軍事情報活動部門では,陸・海・空軍がそれぞれの情報部を持って情報の収集・分析に当たっている。陸軍情報部はその中に対情報活動に任ずる特別の部隊として陸軍対情報部隊(CIC)を持っている。対情報機関としては連邦検察局(FBI)や原子力委員会(AEC)が知られている。また,財務省も情報面では麻薬,密輸出入,通貨偽造などに関する経済情報の収集,および政府高官の護衛に当たる。大統領をはじめとする政府高官の護衛に当たる秘密警察部門はシークレット・サービスとして知られている。
ロシアの主要な機関は旧ソ連時代の国家保安委員会(KGB(カーゲーベー))の機能を引き継ぐ4局および1機関,すなわち連邦保安局(FSB(エフエスベー)),連邦対外情報局(SVR(エスベーエル)),連邦国境局(FPS(エフペーエス)),連邦警備局(FSO(エフエスオー)),連邦大統領付属政府通信・情報機関(FAPSI(エフアーペーエスイ)),ならびに国防省の参謀本部情報総局(GRU(ゲーエルウー))である。
KGBは,革命直後の1917年12月に作られた反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会(チェーカーCheka)を前身とする。Chekaは22年に廃止され,内務人民委員部(NKVD(エヌカーベーデー))に国家保安部(GPU(ゲーペーウー))が設置された。ソビエト連邦の成立に伴いGPUは23年11月に合同国家保安部(OGPU(オーゲーペーウー))に変わるが,OGPUは34年に廃止され,NKVD内に国家保安総局(GUGB(ゲーウーゲーベー))が作られた。さらにNKVDは41年2月に国家保安人民委員部(NKGB(エヌカーゲーベー))とNKVDに分かれ,同年6月にNKVDに統合され,43年にはふたたび分離し,第2次大戦で活動した。46年には国家保安省(MGB(エムゲーベー))になった。KGBはスターリン死後の54年4月に設立されたが,91年のソ連の解体・ロシア連邦の成立に伴い,同年10月に解体された。
連邦保安局は,KGBの主要機能を継承した連邦執行権力機関であり,以下を任務とする。(1)連邦保安局の諸機関の指導。(2)大統領等の安全に対する脅威の通報。(3)安全保障の低下を任務とする外国の特務機関および組織,個人の諜報およびその他の行動の摘発,警告および阻止。(4)権限の範囲内での国家秘密たる情報の防護。(5)管轄する犯罪の摘発,警告,阻止および暴露。(6)テロ行為の摘発,警告,阻止。(7)他の国家機関と連携した組織犯罪,汚職,密輸,武器および麻薬の違法取引などの取締り,など。
参謀本部情報総局は,ロシア連邦軍参謀本部の数多い総局および局のうちの作戦総局等と並ぶ一つの総局である。ロシア連邦軍の行動に必要な戦略情報および戦術情報を収集・分析し,参謀総長に報告することを任務としている。同総局は1918年10月に設置された共和国革命軍事会議野戦参謀部記録部をその前身とする。創立当初からChekaによる粛清,スターリンのGRU弱化の策謀にあいつつも,赤軍時代からソ連軍を経て現在に至るまで,軍内各級部隊の情報組織を統括し,海外の工作員を含めその勢力を強化してきた。
イギリスの情報機関の歴史は古く,エリザベス1世の時代(1558-1603)にはすでに近代的な情報機関が創設されている。情報機関の中で最も重視されたのは外務省の情報機関であるが,それはイギリスの植民地政策とそれに伴う紛争とが大きくかかわっているといえよう。イギリス情報機関の秘密性は非常に高く,情報機構,組織については正確にとらえにくいのが実情である。
イギリス情報機構の中心となっているのは秘密情報部(SIS),保安部(SS)の2組織である。SISは旧名MI6(MIはmilitary intelligence(軍事情報)の略)とも呼ばれる情報収集組織であり,SSは旧名MI5とも呼ばれる対情報組織である。イギリス情報機構の中での特色はロンドン警視庁特別局の存在で,保安部とともに対情報活動に当たっている。
1871年ドイツ帝国が生まれたが,その前後には宰相ビスマルクに重用されたシュティーバーW.Stieber(1818-82)の情報機関が活躍した。ドイツの近代的情報機関の原型はこのシュティーバーによって作られたといわれる。ただし,当時のドイツはユンカーを主体とする貴族政治で,情報活動に携わる者は軽視される風潮にあり,その後のドイツの情報活動の発展を阻害したと見られる。第1次大戦中にあってもこの傾向は強く,情報活動は低調であったが,大戦中,E.シュラグミュラーが心理学を応用した情報訓練の基礎を築き,後の情報活動に大きな影響を与えた。第2次大戦中は,党情報機関と国防軍の情報機関との対立,伝統的なユンカー出身将校とナチスとの深刻な対立がわざわいし,情報戦にも敗れた。
冷戦が本格化していく中で,1949年9月に西ドイツ,10月に東ドイツが成立した。西ドイツでは56年4月にゲーレン機関(戦後ゲーレンR.Gehlenが組織し,アメリカの情報活動に協力してきた)が連邦情報局(BND(ベーエヌデー))として初めて国家機関となった。一方,東ドイツでは,1950年ソ連のKGBを手本とする国家保安省(シュタージStasi)が設置された。1990年10月東西ドイツの統一に伴い,東ドイツの国家保安省は解体され,西ドイツの情報機関が統一ドイツの情報機関となった。
フランスの情報機関は17世紀のルイ13世時代のリシュリュー情報部,ルイ14世時代のパリ警視庁などにその原型が見られる。近代的な情報機関は,普仏戦争に敗れた1872年以降に設置されたといわれる。80年に参謀本部第2局ができており,後に第5局(情報,対情報),海・空軍情報部などが置かれた。しかし,第1次大戦,第2次大戦を通じてフランスの情報機関は十分な活躍を示していない。両大戦とも国土を戦場として損耗が著しかったという事情にもよるが,普仏戦争後の参謀本部第2局以来,軍主体の情報機構であったため,両大戦を通じてフランス軍の士気が必ずしも高くなかったということにも影響されているのであろう。第2次大戦後のインドシナ戦争やスエズ動乱などでも情報活動は十分でなかった。
現在でも主要な情報機関は軍の情報組織が主体になっており,中心組織は外国情報対情報本部(SDECE(エスデーエーセーエー))であり,情報収集,謀略活動,対情報活動を担当する。また国家警察の一機構である国土監視局(DST(デーエステー))は国内の防諜と破壊活動対策を主任務としている。同じ植民地主義国であったイギリスが外務省を中心とする対外情報活動を活発に展開してきたのとは対照的である。
イスラエルは1948年5月の独立戦争後,直ちに情報機関の設立に着手した。国の存立の特異性から,情報機関の必要性を非常に強く感じている。イスラエルの情報機関はモサドMossad(中央情報局),アガフ・モディーン(国防軍情報局。単にモディーンとも呼ぶが,通称はアマンAman),およびシャバクShabak(国家保安局)が中心である。さらに警察省の特別調査局や外務省の迫害国家在住ユダヤ人事務局というイスラエル独特の情報機関をも備えている。それらにとどまらず,準戦時態勢下にあるイスラエルでは各省ともそれぞれの職務分担に基づく情報任務を持っていると見られる。モサド長官を議長(メムネ=責任者)とする中央保安委員会がイスラエルの国家戦略情報の最高機関である。モサドの実態は高度の秘密が保たれていて推測の域を出ないが,本質的にはアメリカのCIAと同様な総合的情報機能を備えているものと見られる。
中国は世界史上最初に体系的な情報理論を持ち,情報機関を持った国といわれている。前500年ころに著されたとされる《孫子》の中に情報が大きく取り扱われていることはそれを示している。中国の裏面史は謀略と情報活動の歴史でいろどられている。前30年代の合従の策,連衡の策,周時代の遠交近攻の策などは現在においても通用する謀略の基本ともいえよう。
中国共産党の創立期から中華人民共和国建国にかけては,情報・謀略活動は党直轄で盛んに行われた。1932年に党幹部,党組織の保全のための保衛総隊,38年には国民党の弾圧に対抗するための政治保衛局という組織が作られた。政治保衛局はその後42年に社会部と改称され,建国の49年に情報総処,56年には調査部となり党中央委員会に直属している。一方,保衛総隊は建国の時に公安部隊となり,国務院の公安部の下での実働部隊となっている。
現在では,中央政治局(党)の調査部,人民解放軍の情報部,国務院の公安部が,中国情報機構の三本柱である。調査部は,対内・対外の情報活動を総合管理し,党,政府,軍の各関係情報機関の行う工作の調整指導を任務とする,党中央委員会政治局直属の最高機関である。公安部の任務は反革命活動や反革命勢力の取締りによって体制を強化することにある。公安部はその性格上,党および政府の二重指導下に置かれるという特色を持っており,全国の各都市,農村にいたるまで治安保衛委員会を設置することを規定している。総参謀部の情報部は軍の唯一の対外情報機関で,外国軍事情報の収集を主任務としている。
日本はCIAやKGBに当たる総合的な情報機関を持っていない。情報・謀略活動に関しては,古くは日露戦争に際しロシア,ポーランドなどの反体制派を支援して活動を行った明石元二郎陸軍大佐(当時。1864-1919)が有名である。その後シベリア出兵に際しシベリアや中国東北地区北部に特務機関の一変形としての情報収集・情報・謀略機関を設置,後に中国各地や東南アジアの占領地にも設けた。特務機関は日中戦争,太平洋戦争を通じさまざまな活動を行った。太平洋戦争開戦期におけるビルマ(現ミャンマー),インドの独立派への支援は著名である。1938年開校した後方勤務要員養成所は39年に陸軍中野学校となり,初期には情報・謀略活動を中心に,大戦末期には遊撃戦を中心にした教育を行い,多くの特務機関員を養成した。また陸軍登戸研究所は情報・謀略用機材の開発を担当した。電波傍受は陸軍参謀本部,海軍軍令部により行われ,連合国側の暗号の一部を解読していた。対情報活動は憲兵隊,特高警察の手によって行われた。
現在,日本の情報機関としては国内外の情報収集を担当する内閣情報調査室があり,防衛庁には1996年まで,調査および情報業務を担当する調査課,三自衛隊の調査部,無線傍受を担当する二部別室,情報関係の教育を行う調査学校があった。1997年1月に防衛庁の情報部門一元化のため,内局と統合幕僚会議,陸・海・空三自衛隊の調査部門を統合して情報本部が設けられた。業務の主体は電波傍受,レーダー監視,商業用衛星の画像分析などである。対情報関係では公安調査庁や警察の公安部などがある。国内の治安情報の能力は各国に比べ優れているが,対外情報を担当する機関は米英ロなどに比ぶべくもなく小規模なものであり,対外情報活動も非常に制限されている。吉田茂内閣当時に国家情報一元化の構想があったが,実現せず今日にいたっている。
→軍事情報
執筆者:寄村 武敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
政府、軍、その他が情勢に適応した決定や措置をとれるように、対立する陣営あるいは仮想敵とみなす国や勢力に関する公開・非公開の情報を収集し、分析、評価する国家機関。ときには同盟国や中立的な国に関する情報を対象とすることもある。情報機関には、対外情報のほかに国内を対象としたものもある。情報機関の活動は秘密にされているが、その指導者だけがアメリカのように公にされている国と、逆に秘密にされている国とがある。冷戦後は、情報機関の役割と機能の見直しがなされ、情報公開を求める世論と運動をバックに、アメリカのように、情報機関の総予算を公表するだけでなく、「機密の氾濫(はんらん)は、国家を守るどころか害するだけ」(諮問委員会勧告)として機密資料も公開されつつある(1998年中に100万ページの文書公開)。
情報機関は古代以来、国家権力がすべてなんらかの形で具備していたが、今日のように重要な国家機関として、広範な情報活動を担当するようになったのは20世紀に入ってからである。第一次世界大戦までは主として常備軍によって遂行される戦争であったが、第一次世界大戦を通じて戦争は人的・物的能力を総動員する総力戦となり、軍事力だけでなく、生産力、人的資源、社会状態、国民心理が戦争の勝敗を左右するようになった。このため戦争当事国はこれらの情報を収集、分析する必要に迫られ、さらにマスコミをいかに利用し、または統制するかが重要になったからである。第二次世界大戦ではこの傾向がさらに強まり、情報活動は歴史上例をみない規模と多様性をもつものとなり、情報機関は強大な組織に成長した。第二次世界大戦後の冷戦激化によって情報活動の重要性はさらに高まり、情報機関は精緻(せいち)化され、ますます大きくなった。さらに、冷戦後の役割見直しで、アメリカ、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、中国など先進大国の情報機関の役割には、新たに経済・ハイテク技術情報の収集が加わった。
[林 茂夫]
情報機関の活動を機能別に分類すれば、(1)情報収集と諜報(ちょうほう)活動、(2)防諜保安活動=敵の諜報活動および破壊工作に対する防御、無害化、(3)対諜報活動=敵の諜報活動に対する積極的な解明と無力化、(4)秘密工作活動=破壊工作、欺瞞(ぎまん)工作、転覆工作など、に大別される。
もっとも重要な任務は(1)で、公開あるいは非公開の情報を収集し、政府が所要の決定をやりやすくし、かつ有効ならしめるために、その情報に専門的な知識、背景情報、あるいは科学的分析を加えることである。情報収集と諜報活動で集められた「生の情報」は情報資料(インフォーメーション)とよばれ、「生の情報」を情報源の信頼性、情報資料の正確度に基づいて検討、分析し、専門家がすでに入手している同じ項目の情報資料と比較、判定した「完成した情報」は情報(インテリジェンス)とよばれる。「完成した情報」は外交、防衛政策に活用されるほか、国民世論の形成、国際世論の形成、外国政府の政策決定に影響力を与えるために、公式資料としてマスコミその他にタイミングよく配布、活用される。
情報収集とは、外国の新聞、雑誌、書籍、テレビジョン、ラジオなどのマス・メディア、軍事技術、科学、経済などの専門誌紙、政府の発表・公表資料など、公にされている情報源から情報資料を集めることで、諜報活動とは、外国が秘密にしている情報資料を非公然、不法な手段で入手することである。大統領もしくは首相直属の中央情報機関、国防省・軍・外務省の情報組織などがおもに担当している。
あらゆる政治的・軍事的行動は、方針の決定、方針の準備、方針の実行の3段階に分けうるが、公開情報の収集・分析では、せいぜい方針の準備・実行の段階までしかわからないので、方針の決定に関する情報は諜報活動に頼らざるをえない。古くから諜報活動の手段はスパイに依存していたが、最近ではスパイに加えて、偵察衛星や戦略偵察機、電子・電波情報受信装置を活用した諜報活動が重用されている。冷戦後のテロ活動や紛争激化のなかで、改めて人間のスパイの役割が重視されている。
コミント(COMINT)は、相手側の通信系統を探知し、その送受信者間の交信を傍受して、通信分析によって情報を得る通信情報(コミュニケーション・インテリジェンス)の略称。エリント(ELINT)は、相手側のレーダー、味方識別信号、航法用無電標識などによる交信用以外の輻射(ふくしゃ)電波を傍受、分析し、発信者・性格とその所在位置を探知する電子情報(エレクトロニクス・インテリジェンス)の略称。この分野の担当組織ではアメリカの国防総省国家安全保障局(NSA)、ソ連の国家保安委員会第8本部(KGB通信本部)、イギリスの国防省情報部(DIS)が知られ、日本では防衛省情報本部電波部(前身は陸幕(りくばく)調査第二課調査別室)が担当している。
(2)の防諜保安活動は、敵の情報機関の組織、活動方法、活動目標の探知、自国の監視区域内で起こる容疑事件の処理など、軍事機密保護と国家体制の破壊工作などに対する保全維持に役だつすべての活動をいう。担当機関は軍の防諜組織のほか、多くの国が国内防諜の専門組織をもっている。アメリカの連邦捜査局(FBI)、イギリスの内務省保安部(SS)、フランスの内務省国土保安局(DST)、ドイツの連邦憲法擁護庁(Bfv)、ソ連のKGB第2本部がそれである。日本では警察の警備公安部門、自衛隊の警務隊、調査隊、公安調査庁が担当している。
(3)の対諜報活動は、防御的な防諜保安活動と違い攻撃的な活動で、敵の情報機関の諸計画を探知し、その動静を監視し、計画的に対策をたてて敵の意図を無力化することを目的にしている。敵のスパイ網の中に入り込み、逆スパイの運用、偽情報の操作などにより、敵の意図や計画を手に入れたり、不利な行動をとらせるようにする。
(4)の秘密工作活動は、一般的には戦時にだけ展開されるが、最近は平時にも行われている。同じ秘密活動でも、秘密工作と偽装された工作とは区別される。秘密工作は隠蔽(いんぺい)されたものであって仮面をつけたものではない。偽装された工作は隠蔽されたものではなく仮面をつけたものである。前者は戦時に多く行われ、後者は平時に行われる。またこの二つの工作形態はしばしば併用される。
アメリカの中央情報局(CIA)、イギリスの秘密情報部(SIS)、フランスの対外保安本部(DGSE)、ドイツの連邦情報局(BND)、ソ連の国家保安委員会(KGB)など主要国の中央情報機関は、(1)(3)(4)の活動を担当していた(KGBは(1)(2)(3)(4))。ソ連崩壊後、エリツィン政権下でKGBは連邦対外諜報局、連邦防諜局、連邦国境警備局にいったん分割縮小されたが、同政権下で1995年4月に連邦防諜局は連邦保安局(FSB)に改組され、ほぼすべての治安、捜査機関を統制下に置くとともに、対外諜報活動も行うなど、大幅に権限を強化された。KGBと同じような強大な保安機関の復活が懸念されている。各国ともに中央情報機関を含め、各軍、各種の情報機関の情報活動を調整する指導機関がある。
多くの国の情報機関、防諜組織とその活動も、本質的にほぼ同じ要領で行われている。名の知られている中央情報機関に、建国前の秘密機関モサド・レアリヤ・ベトに由来してモサドと通称されるイスラエルのシン・ベス(SHIN BETH)と、韓国のKCIA(1981年に国家安全企画部と改称)がある。
[林 茂夫]
敗戦前の日本では、情報収集と分析は外務省、陸海軍とその特務機関、防諜は憲兵と特高警察が担当し、スパイ・謀略工作要員の養成は中野学校で行われた。太平洋戦争開始の1年前に、陸海軍、外務・内務両省の情報を総合し、対内外宣伝の統制、検閲強化のため内閣情報局(内閣情報部を昇格)が設立された。
第二次世界大戦後は講和・独立を機に、内閣調査室、外務省、公安調査庁、公安・警備警察の情報活動が復活し、再軍備の進展とともに自衛隊の情報活動も強化され、情報要員養成の調査学校も設立された。経済大国から政治・軍事大国化への動きが強まった1990年代に入って、内閣調査室は内閣情報調査室へ、さらに内閣情報集約センターへと強化された。また一元的に内外情報を収集・分析するために、内閣、外務、防衛、警察、公安の情報機関で構成する合同情報会議が発足した。防衛省、外務省それぞれによるインテリジェント・ビル(情報、通信機能を集中したビル)建設は、自衛隊、外務省の対外情報収集能力が飛躍的に強化されたことを示している。そしてさらに偵察衛星・電子偵察機などの保有が推進されようとしている。
[林 茂夫]
『青木日出雄著『国際諜報戦争』(1982・PHP研究所)』▽『ウィリアム・V・ケネディ他著、落合信彦訳『諜報戦争』(1985・光文社)』▽『関根伸一郎著『ドイツの秘密情報機関』(講談社現代新書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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