韓国中央情報部(読み)かんこくちゅうおうじょうほうぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「韓国中央情報部」の意味・わかりやすい解説

韓国中央情報部
かんこくちゅうおうじょうほうぶ

1961年5月の軍事クーデターで韓国(大韓民国)に成立した朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)政権が、その直後に新設した情報機関兼秘密政治警察。79年10月に同政権が倒れるまでの間、恐怖政治の道具として猛威を振るった。アメリカの中央情報局(CIA)をまねてつくられたことからKCIA(韓国CIA)の通称でよばれたが、権限はアメリカのCIAよりもはるかに強大で、政治犯罪に関して全捜査機関を指揮するとともに、自ら被疑者を逮捕拘禁し、取り調べることができた。その活動は海外在住の韓国人にも及び、73年8月には東京滞在中だった韓国の政治家金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)の誘拐事件が引き起こされた(金大中事件)。朴政権崩壊後、中央情報部の機構と権限は縮小されて、北朝鮮に関する情報の収集とスパイ活動取締りをおもな任務とすることになり、81年1月、全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権によって国家安全企画部(安企部)と改称された。その後、96年の北朝鮮潜水艦潜入事件などを契機に安企部法が改正され、利敵犯罪の捜査権を拡大したが、97年には安企部による大統領選挙工作事件が発覚、98年発足の金大中政権は、99年1月国内情報部門を大幅に縮小して、名称を国家情報院に改めた。

[川越敬三]

『趙甲済著、黄民基・皇甫充訳『国家安全企画部――韓国現代史の影の権力!』(1990・JICC出版局)』『金忠植著、鶴真輔訳『実録KCIA――南山ナムサンと呼ばれた男たち』(1994・講談社)』『金大中先生拉致事件の真相糾明を求める市民の会(韓国)編著、大畑正姫訳『金大中拉致事件の真相』(1999・三一書房)』『中薗英助著『拉致――知られざる金大中事件』(新潮文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「韓国中央情報部」の意味・わかりやすい解説

韓国中央情報部 (かんこくちゅうおうじょうほうぶ)

CIAにならってKCIA(Korea Central Intelligence Agency)とも呼ばれる。朴正熙少将(当時)の軍事クーデタ(1961年5月16日)が成功した直後,〈反革命から軍政を守る〉ことを目的とし,国家再建最高会議の直属機関として発足した。初代部長金鍾泌(きんしようひつ)(のちの首相)が就任,63年秋の民政移管後は〈国家安保に関連する情報・保安および犯罪捜査に関した事務を担当する〉ため大統領直属機関となった。組織,定員,予算は非公開。歴代部長は首相と同格とされ実力者が歴任し,強力な諜報機関の一つに成長した。73年8月東京で起きた金大中事件や元KCIA部長の金炯旭(きんけいきよく)によって暴露された対米議会不正工作事件,本国における在日韓国人大量逮捕事件などに関与し,国内外の反政府活動規制に猛威を振るった。79年10月,7代目部長の金載圭が朴大統領を射殺した後,改編が進められた。82年全斗煥政権下では〈国家安全企画部〉(ANSP)と改称され,金大中政権下の99年〈国家情報院〉と改称された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「韓国中央情報部」の意味・わかりやすい解説

韓国中央情報部
かんこくちゅうおうじょうほうぶ
Korean Central Intelligence Agency

KCIAと略称される。 1963年 12月の中央情報部法 (1973.3.改正) により設置された諜報機関。その職務範囲は,内外の保安情報収集にとどまらず,国家機密の保持,刑法上の内乱,外患,軍刑法上の反乱,利敵,国家保安法上,反共法上の犯罪捜査など,国政全般に及んだ。そのためパク・チョンヒ (朴正煕) 政権下では一つの政治勢力として軍部と張合った。部長の任命権は大統領に属した。 79年の金載圭中央情報部長による朴大統領殺害事件後,機構は縮小され 80年国家安全企画部 NSPに改称。

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