アチェ

百科事典マイペディア 「アチェ」の意味・わかりやすい解説

アチェ

インドネシアのスマトラ北部に居住する人びと。マレー人,ジャワ人,インド人,ニアス島人などとの混血稲作に従事する農耕民で,イスラム教徒が多い。かつてアチェ王国が北西岸を中心に,さらに中央部にかけて栄えたが,19世紀末にはオランダ人植民者と衝突(アチェ戦争,1873年―1912年)して敗北,以後オランダの支配に入った。インドネシア独立後は,中央政府からの分離・独立を主張するダレル・イスラム運動を展開,1959年中央政府はアチェ地方を特別州とし自治権を承認した。しかし1970年代から独立派との武力衝突が続き,1980年代末から国軍はその武装組織〈自由アチェ運動〉(GAM)の掃討作戦を始めたが,中央政府は特別な自治権を与える方向を示し,2002年に州名をナングロアチェ州(州都バンダアチェ)に変更,同年末には停戦合意が成立した。しかし,2003年5月に和平交渉が決裂し,政府軍は討伐作戦に入った。2005年8月,中央政府とGAMが和平合意に正式署名した。
→関連項目アジアインドネシアスマトラ[島]バンダ・アチェ

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改訂新版 世界大百科事典 「アチェ」の意味・わかりやすい解説

アチェ[州]
Aceh

インドネシア,スマトラ島北端の特別州。面積5万5392km2,人口393万(2000)。州都はバンダ・アチェ。主産業は水稲耕作で,輸出用に東部でゴム,中部でコーヒーを産する。古来,東西交通の要衝にあたり,同国で最も早くイスラムが定着した所で,マルコ・ポーロの《東方見聞録》などの資料により,東岸の小港市国サムドゥラ・パサイやペルラクで13世紀末に王や住民のイスラムへの改宗が確認される。16世紀以降,バンダ・アチェに拠るアチェ王国がコショウ貿易の隆盛を基に勢力を拡大,この地方を支配下に置いた。同王国はイスカンダル・ムダ治政下(1607-36)に最も栄え,版図をスマトラ南西岸にまで拡大したが,17世紀末から内紛が続き衰退した。20世紀初め,アチェ戦争での抵抗も空しくオランダの支配下に入れられた。インドネシア独立後,1959年特別州とされた。インドネシアからの分離独立をめざす動きが,自由アチェ運動(GAM)を中心に続けらている。2004年12月スマトラ島沖地震による津波で,大きな被害を受けた。
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