バンダアチェ(その他表記)Banda Aceh

改訂新版 世界大百科事典 「バンダアチェ」の意味・わかりやすい解説

バンダ・アチェ
Banda Aceh

インドネシア,スマトラ島北端,アチェ特別州の州都。アチェ川河口部にあり,人口26万9943(2003)。かつてこの付近に存在したと推定されるラムリまたはランブリ,漢籍では藍無里,喃里なる小港市国をこの町の前身とする説もあるが確証はない。バンダ・アチェの名は16世紀以降,アチェ王国の王都として知られるが,通称クタ・ラジャ(王都)が多く用いられた。同王国は領内に豊富に産したコショウの貿易をこの町のみに限る政策をとったため,ここは16,17世紀世界有数のコショウ貿易地として栄えた。また文化的発展も著しく,近隣イスラム諸国の教学研究の中心的存在として多くのウラマーを集めた。しかし18世紀にはコショウ貿易の衰退と共に市の繁栄も失われた。1874年初めにはオランダに占領され,以後のアチェ地方侵略・支配の根拠地とされた。オランダはクタ・ラジャを公式名称としたが,独立後バンダ・アチェの名に復した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バンダアチェ」の意味・わかりやすい解説

バンダアチェ
Banda Aceh

インドネシアスマトラ島北西端の都市。アチェ州の州都。アチェ川の河口に位置し,アンダマン海に臨む。1292年にマルコ・ポーロが,1345,1346年にイブン・バットゥータ来訪。13世紀に島で最初のイスラム勢力中心地となり,17世紀前半にはアチェ王国の首都として,南スマトラ,マレー半島にも勢力を伸ばした。1873年オランダの支配下におかれ,貿易港としてコショウの輸出で知られた。学術・文化の中心地としても繁栄。今日では地域の商業中心地で,金装飾品や綿・絹織物などが生産される。道路と鉄道で東岸のランサスマトラウタラ州メダンと結ばれる。王宮跡,大モスクなどがある。2004年スマトラ島沖地震による津波で甚大な被害を受けた。人口 22万3446(2010)。

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百科事典マイペディア 「バンダアチェ」の意味・わかりやすい解説

バンダ・アチェ

インドネシア,スマトラ北端部の都市。アチェ特別州の州都。東西交通の要地で13世紀にイスラム勢力の基地となり,16世紀以降アチェ人によるアチェ王国の主都となった。王国は17世紀末までコショウ貿易で繁栄したが,19世紀末―20世紀初めのアチェ戦争でオランダに征服された。オランダ時代は〈王の町〉を意味する通称クタ・ラジャと呼ばれたが,独立後改称された。コプラ,コショウの取引地。この地域は2004年12月26日のスマトラ沖地震とそれにともなう大津波で大きな被害を受けた。22万3446人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内のバンダアチェの言及

【アチェ[州]】より

…面積5万5392km2,人口386万(1995)。州都はバンダ・アチェ。主産業は水稲耕作で,輸出用に東部でゴム,中部でコーヒーを産する。…

※「バンダアチェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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