アフマドアラービー(英語表記)Aḥmad `Urābī

改訂新版 世界大百科事典 「アフマドアラービー」の意味・わかりやすい解説

アフマド・アラービー
Aḥmad `Urābī
生没年:1841-1911

エジプト軍人。アラービー・パシャ`Arābī Pashaとも呼ばれる。下エジプト地方シャルキーヤ県ハッリーヤ・ラズナ村の有力者の息子として生まれ,1854年入隊,58年将校となった。79年大佐に昇進,その間エジプト人将校からなる秘密軍人グループを組織し,同年エジプトの独立立憲制とをめざすワタン党結成に協力,後に彼の名を冠してアラービー運動とも呼ばれる民族運動を指導,81年陸軍大臣となった。イギリスの軍事干渉に抵抗したが,82年タッル・アルカビールの戦に敗れた。軍事裁判でいったんは死刑を宣告されたが,1901年帰国を許されるまでセイロン島に流された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアフマドアラービーの言及

【アラービー運動】より

…1879年に結成されたワタン(祖国)党を中心勢力とし,アフマド・アラービー大佐を指導者とするエジプトの民族運動。オラービー運動ともよばれる。…

※「アフマドアラービー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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