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アリスタゴラス アリスタゴラスAristagoras

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アリスタゴラス
Aristagoras

[生]?
[没]前497
古代ギリシア,ミレトス僭主アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス1世ナクソス介入を要請し,その遠征に参加したが,失敗。ダレイオスの寵を失うと,イオニア諸都市に反乱を呼びかけ,ペルシアと戦ったが,鎮圧され,トラキアに逃れて,その地で殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

アリスタゴラス【Aristagoras】

?‐前497
前5世紀のミレトスの僭主。ヒスティアイオスの養子でその後継者。前499年ペルシアを説いてナクソス遠征を行ったが,失敗するとペルシアの支配に不満なイオニア人を反乱に立ちあがらせ,本土からはアテナイ,エレトリアの援助を受けた。反乱に失敗すると移民団をひきいてトラキアのミュルキノスに逃れ,前497年トラキア人との戦いで死んだ。イオニア反乱【太田 秀通】

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世界大百科事典内のアリスタゴラスの言及

【イオニア反乱】より

…前499‐前494年。ミレトスの僭主アリスタゴラスは,ナクソス遠征をダレイオスに勧めたが,前499年これに失敗して進退きわまっていた時,スーサにいた義父ヒスティアイオスのもとから謀反の指令を受けたこともあって,反乱を決意した。ミレトス人が進んでこれに荷担するように,自ら僭主政を廃して平等政治をしき,他のイオニア諸市の僭主を捕らえてそれぞれの国の民衆にひき渡し,さらに本土に渡って援助を求めた。…

【ギリシア】より


[ペルシア戦争と古典期ギリシア]
 アテナイ民主政が成立してほどなく,ギリシア諸市とアケメネス朝ペルシアは正面衝突することとなった(ペルシア戦争)が,その原因は前6世紀中葉小アジアのギリシア諸市がペルシアの支配下におかれたことにあった。前5世紀の初めミレトスの僭主アリスタゴラスが自己の保身に不安を感じてかえってペルシアへの反乱(イオニア反乱)を企てると,アテナイはこれに援軍を送ったが,反乱軍は一時サルディスを陥れたものの数年にして敗れ,ペルシアは報復としてギリシア本土への侵入を企てるにいたった。ダレイオス1世は前492年ギリシア遠征軍を送ってトラキア海岸を制圧し,前490年アテナイ,エレトリアを討つという名目で大遠征軍をギリシアに差し向けた。…

※「アリスタゴラス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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