アリ・サストロアミジョヨ(英語表記)Ali Sastroamidjojo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アリ・サストロアミジョヨ
Ali Sastroamidjojo

[生]1903.5.21. マゲラン
[没]1975.3.13. ジャカルタ
インドネシア政治家外交官オランダのライデン大学法科卒業。留学生の組織「インドネシア協会」に加わり独立運動に貢献。帰国後,スカルノの率いる国民党に入党,スカルノの有力な盟友となった。 1945年のインドネシア独立後,教育相,国連代表,アメリカ駐在大使を経て,53年首相。 55年4月スカルノと協力して第1回アジア=アフリカ会議 (バンドン会議) を推進するなど,非同盟中立外交を展開した。同年7月スカルノ派軍人を偏重したとして陸軍反感を買い辞職したが,55年末の総選挙で第一党となった国民党の力を背景に,56年3月再び首相に就任。 57年3月スマトラ反乱のため辞任。 60年国民党総裁となり,国家最高機関である暫定国民協議会 MPRS副議長に就任。九・三〇事件ののち,容共左派として攻撃の的となり,66年4月国民党総裁の地位を失い,翌 67年8月「スカルノ復帰の陰謀」に加担した疑いで陸軍によって逮捕された。

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アリ・サストロアミジョヨ

インドネシアの外交官,政治家。駐米大使,国連総会代表を歴任スカルノの創立したインドネシア国民党総裁として再度首相となった。のち国連大使,暫定国民協議会副議長を務めたが,党内左派を代表していたため1966年九月三〇日事件後失脚。

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