ハワイの別れの歌。ハワイ王国最後の女王リリウオカラニが、獄中で王国との別れを惜しんで1890年代につくったという俗説があるが疑わしい。しかし女王の作である可能性は残されており、少なくとも1877年付けの自筆メモで裏づけられる。作詞・作曲の動機として「女王がパリ(ハワイ語で崖(がけ))を越えて乗馬の旅から帰る途上で目撃した恋人たちの別れの抱擁(ほうよう)」があげられることもある。ともかく初めは単なる恋歌としてつくられたにもかかわらず、葬儀のときに別離の歌として歌われるのを聴いて、女王自身驚いたというエピソードも伝えられている。いずれにしろ、その後、出帆、旅立ちなどさまざまな別れの場面で歌うことが多くなり、国際的にも広く親しまれている。
[山口 修]
…別名〈アロハ・ステートAloha State〉と称され,歓迎・別離のあいさつや愛情の表現にも用いられるハワイ語の〈アロハ〉ということばが,住民の気風を象徴している。1778年にキャプテン・クックが目撃したサーフィン,渡来した宣教師が女性の腰みのを改めさせるために考案したムームー,サトウキビのプランテーションで働いたポルトガルの労働者が持ちこんだ民俗楽器マシェーテ(ギターの類)が原形となったウクレレを用いるハワイアン音楽(ちなみに,《アロハ・オエ》(〈あなたに愛を〉〈さようなら〉の意)はハワイ王国最後の女王リリウオカラニ女王自身の作詞になる)や明るい原色のアロハ・シャツなど,ハワイが生みだしたものの多くが,〈人種のるつぼ〉と呼ばれるハワイ文化の性格を物語っている。 現在,ハワイ経済の主柱は観光である。…
…ハワイ諸島原住のポリネシア系のカナカ族は,無伴奏の歌オリ,打楽器(ひょうたんの〈イプ〉,竹のささら〈プーイリ〉など)と踊り(フラ)などをもっていた。19世紀にアメリカ人によりキリスト教の賛美歌が持ち込まれて西洋式のメロディとハーモニーを吸収し,さらにメキシコ人によりギター,ポルトガル人により小型ギターが紹介されることによって,スラック・キーslack key(独自の調弦と演奏法によるハワイの民俗的ギター奏法),スチール・ギター,ウクレレが考案され,19世紀末には《アロハ・オエAloha Oe》(リリウオカラニ女王が1878年に作った)に代表されるハワイアンの古典様式が完成した。20世紀に入り,ハワイの音楽家たちがアメリカに出稼ぎに行く機会が急増するとともに,ジャズやブルースの要素が大幅に取り入れられ,1930年代にスチール・ギターの電気増幅式のものが導入されてハワイ音楽のポピュラー化が進行した。…
…王族の家柄に生まれ,1862年アメリカ人のJ.ドーミニスと結婚した。74年兄のカラカウアが王位につくと,宮廷社交界の花形となり,78年にはハワイアンの名曲《アロハ・オエ》を作曲した。王の不在のときは摂政を務め,91年王としての多くの権利を奪われた兄の死後に女王となった。…
※「アロハオエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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