リリウオカラニ(その他表記)Liliuokalani

デジタル大辞泉 「リリウオカラニ」の意味・読み・例文・類語

リリウオカラニ(Liliuokalani)

[1838~1917]ハワイ王国女王在位1891~1893。王国最後の王で、兄カラカウアの後を継いで即位するも、親米派のクーデターにより王位を追われた。民謡アロハオエ作者とされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リリウオカラニ」の意味・わかりやすい解説

リリウオカラニ
Liliuokalani

[生]1838.9.2. ホノルル
[没]1917.11.11. ホノルル
ハワイ王国の最後の女王(在位 1891~93)。本名 Lydia Kamakaeha。カラカウア王の妹で,ヨーロッパに遊学したのち,1891年兄のあとを継いで女王となった。「ハワイ人のためのハワイ」を主張し,アメリカ合衆国のハワイ併合政策に強く抵抗した。1887年のアメリカ=ハワイ条約などにリリウオカラニが反対したため,1893年アメリカ人のサンフォード・B.ドールらが軍事力を背景に革命を起こし,臨時政府を樹立。リリウオカラニは流血の事態を回避するためにみずから退位し,ハワイは共和国となった。その後,アメリカ大統領グローバー・クリーブランドに対し復位を要求。クリーブランド大統領はリリウオカラニの復位を認めたが,革命政府はこの指示を拒否した。1895年女王の名のもと蜂起が行なわれたが鎮圧され,リリウオカラニは逮捕された。その後,1898年のアメリカ=スペイン戦争の間にハワイ併合がなされ,独立国家としてのハワイは消滅した。1898年にリリウオカラニが作詞した歌『アロハオエ(あなたに愛を)』は,長くハワイ人に親しまれている。

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改訂新版 世界大百科事典 「リリウオカラニ」の意味・わかりやすい解説

リリウオカラニ
Liliuokalani
生没年:1838-1917

ハワイ王国最後の女王。在位1891-93年。王族家柄に生まれ,1862年アメリカ人のJ.ドーミニスと結婚した。74年兄のカラカウアが王位につくと,宮廷社交界の花形となり,78年にはハワイアン名曲アロハ・オエ》を作曲した。王の不在のときは摂政を務め,91年王としての多くの権利を奪われた兄の死後に女王となった。当時,ハワイの土地の2/3はアメリカ人をはじめとする外国人によって支配されていた。ハワイ人のためのハワイを主張する女王は,93年王位に権力を取り戻すための新憲法を公布しようとしたが,自分たちの地位や財産の失われることを恐れるアメリカ併合論者たちが,アメリカ公使に軍隊動員を要請し,強制的に女王を退位させた。さらに94年併合論者はハワイ共和国を結成した。これに対して翌95年リリウオカラニは王位奪還をめざしたが失敗し,98年ハワイはアメリカ領となった。
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20世紀西洋人名事典 「リリウオカラニ」の解説

リリウオカラニ
Liliuokalani


1838 - 1917
ハワイ王国国籍。
元・ハワイ王国女王。
カメハメハ大王の直系が絶えて、2代目の選定王となったカラカウアの妹で、1890年健康を害して転地療養する王の代わりに摂政となり、1891年兄カラカウア王の死後、女王となる。ハワイ人のためのハワイを主張する女王は、1893年王位に権力を取り戻すための憲法を公布しようとするが、アメリカ併合論者たちの武装蜂起を招き、女王を退位させられる。1895年リリウオカラニは王位奪還をめざすが、失敗し、1898年ハワイはアメリカ領となる。又、アロハ・オエの作曲者としても有名である。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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