アンゴラ解放人民運動(読み)アンゴラかいほうじんみんうんどう(英語表記)Movimento Popular de Libertação de Angola; MPLA

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンゴラ解放人民運動
アンゴラかいほうじんみんうんどう
Movimento Popular de Libertação de Angola; MPLA

1956年 12月アンゴラ共産党の影響下にルアンダで創設されたアンゴラの民族解放組織。のち政党。コナクリ (現ギニア) ,レオポルドビル (現コンゴ民主共和国) ,ブラザビル (現コンゴ共和国) と本部を移しながら,62年 12月に党内で指導権を確立した A.ネト議長のもとで,63年からカビンダおよび東部地域で対ポルトガル武装解放闘争を展開。アンゴラ民族解放戦線 FNLAや,アンゴラ全面独立民族同盟 UNITAと,ときに競合し,ときに対立しながらゲリラ戦を続けた。 75年1月モンバサ協定によって FNLA,UNITAと和解し,3者一体となって同月ポルトガルと独立協定を結び,暫定政府を発足させたが,同年中頃には FNLA,UNITA連合軍との間に内戦が勃発。しかし連合軍を支援していたアメリカ,中国が援助を中止したのに対して,MPLAはソ連,キューバの援助を得て 76年2月にはほぼ勝利を確定し,アフリカ統一機構 OAUの承認を得て内外にその正統性を確立した。その後マルクス=レーニン主義に基づき,民兵組織の整備,生産協同組合方式の導入,青年,学生,労働者,女性の組織化と大衆動員などによる国家建設を推進した。 77年 12月にアンゴラ解放人民運動労働党 MPLA-PTと改名。 90年 12月東欧・ソ連の民主化の影響を受けてマルクス=レーニン主義を放棄。 92年9月に実施された初の複数政党制議会選挙では UNITAを抑えて第1党となり,ジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスが大統領に就任。 (→アンゴラ内戦 )  

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世界大百科事典内のアンゴラ解放人民運動の言及

【アンゴラ】より

…しかしながら皮肉なことに植民地解放闘争の担い手の多くは,アシミラード階層から出現した。1950年ごろから活発化した解放闘争は諸党派を生んだが,多数の部族を吸収したアンゴラ解放人民運動(MPLA)が勢力を伸張させた。長期間の内戦のあとMPLA政権が誕生したが,その間ポルトガル人の本国引揚げは35万人にも及び,経済の再建には苦難の道が待ちかまえている状態である。…

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