ネト(読み)ねと(英語表記)Antonio Agostinho Neto

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネト」の意味・わかりやすい解説

ネト
ねと
Antonio Agostinho Neto
(1922―1979)

アンゴラの政治家、詩人。解放運動指導者。カシカネに生まれる。首都ルアンダで教育を受けたのち、保健局に勤務(1944~1947)。1947年民族文化運動に参加し、同年ポルトガルのコインブラ大学医学部留学。在学中、のちにギニア・ビサウ解放闘争を指導したアミルカル・カブラルらと反植民地活動を行い、しばしば逮捕、投獄された。1959年帰国し開業したが、1960年アンゴラ解放人民運動MPLA)議長となり、同年北部の蜂起(ほうき)を指導し逮捕された。釈放後、キンシャサ本拠にゲリラ闘争を指導。1974年ポルトガル新政権はアンゴラの独立を約束したが、独立後の主導権をめぐって部族主義的なアンゴラ国民解放戦線FNLA)およびアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)と対立し内戦に入った。ネトはソ連キューバの軍事的支援を受け、1975年11月アンゴラ人民共和国を宣言、初代大統領に就任。独立後、科学的社会主義路線を標榜(ひょうぼう)して国家建設を行ったが、1979年9月10日病死した。

[林 晃史]

『Messages to companions in the struggle(1972, LSM Information Center, Richmond)』『Agostinho Neto ; poesia(1998, INALD, Luanda)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ネト」の意味・わかりやすい解説

ネト
Neto, Antônio Agostinho

[生]1922.9.17. イコラエベンゴ
[没]1979.9.10. モスクワ
アンゴラの詩人,医師,解放運動指導者。首都ルアンダで中等教育を終え,植民地政庁保健部に勤務のかたわら文化運動にたずさわる。 1947年ポルトガルへ渡り,コインブラ大学およびリスボン大学で医学を専攻。この時期に同胞の苦しみを多くの詩に歌い,48年アンゴラの伝統文化再発見の意図を強くこめた第1詩集を発表した。ポルトガル人の青年運動に加わり,55年2月破壊活動を行なったかどで逮捕され,57年6月まで獄中にあった。 58年医師の資格を取得。同じ頃全ポルトガル植民地の代表を集めて反植民地運動 MACを組織。 59年帰国し,医師を開業。 60年6月逮捕され,カーボベルデリスボンで獄中生活をおくったが,62年7月脱獄し,再度アンゴラに戻ってアンゴラ解放人民運動 MPLAの指導部に復帰。対ポルトガル武装闘争を活発化させるうえで大きな役割を果した。マルクス=レーニン主義者として MPLAのイデオロギー的強化に努めるとともに,カビンダ飛び地,アンゴラ北部および東部の3地域に戦線を拡大,75年夏に本格化したアンゴラ内戦では,ソ連,キューバの軍事的支援を得て,アンゴラ解放民族戦線 FNLA,アンゴラ全面独立民族同盟 UNITA連合軍を破り 76年2月上旬勝利を確定し,アンゴラ人民共和国を確立,初代大統領に就任。在任中死去。おもな作品は,マリオ・デ・アンドラーデ編『ポルトガル語による黒人詩集』 Antologia da Poesia Negra de Expressão Portuguesa (1958) に収められている。

ネト
Neto, Henrique Maximiano Coelho

[生]1864.2.21. マラニャン,カシーヤス
[没]1934.11.28. リオデジャネイロ
ブラジルの小説家。大学を中退後,ジャーナリズムの世界に入り,文筆活動を始めた。奴隷廃止および共和主義の運動に加わり,J.パトロシニオや A.アセベドらとともにグループ「文学ボヘミアン」をつくり,また文学や芸術史の教授,マラニャン州選出の下院議員もつとめた。ブラジル文学アカデミーの創立メンバーでもある。小説,童話,戯曲,評論,教育書など多方面に活躍。代表作には小説『首都』A Capital Federal (1893) ,『旋風』 Turbilhão (1906) ,『黒人王』 Rei Negro (14) ,『鬼火』 Fogo-Fátuo (29) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

栄養・生化学辞典 「ネト」の解説

ネト

 細菌などの作用で,貯蔵している練り製品の表面にできる粘稠な物質.透明のもの,灰白色のものなどがある.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android