コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

イェーナの戦 イェーナのたたかい

2件 の用語解説(イェーナの戦の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

イェーナの戦【イェーナのたたかい】

ナポレオン戦争中の1806年,ライン同盟成立後のナポレオンの政策に脅威を覚えたプロイセンは,英・露の援助下にフランスに宣戦したが,10月14日中部ドイツイェーナJenaで完敗。
→関連項目イェーナティルジット条約

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

イェーナのたたかい【イェーナの戦】

中部ドイツのイェーナにおいて,1806年10月14日に行われたプロイセン軍とフランス軍の決戦。この戦闘でホーエンローエFriedrich Ludwig Fürsten von Hohenlohe‐Ingelfingen(1746‐1818)率いるプロイセン軍が,ナポレオン指揮下のフランス軍により惨敗した。同日近郊のアウエルシュテットでもフランス軍はブラウンシュワイク公指揮のプロイセン軍を破り,ナポレオンは余勢をかって10月末ベルリンに入城した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のイェーナの戦の言及

【徴兵制】より

…近代軍隊の端緒であるフランス革命時の国民軍は,絶対君主を打倒した国民主権の観念と革命防衛の愛国的ナショナリズムが結合することにより生まれたものであった。ナポレオン率いるフランス国民軍のプロイセン傭兵軍に対する勝利(1806年のイェーナの戦)は,徴兵制が世界に広がるきっかけとなった。イギリス,アメリカなどでは伝統的に志願兵制がとられてきたのであるが,フランス革命後に近代国民国家形成に入るドイツ,イタリア,日本などは,こぞって徴兵制を採用した。…

※「イェーナの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

イェーナの戦の関連キーワードイェーテボリイェーリングシュライデン西ドイツパッヘルベルイェール大学イェータ広場サモイェード統一ドイツドイツの小さな町

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone