シュタイン‐ハルデンベルクの改革
しゅたいんはるでんべるくのかいかく
Die Stein‐Hardenbergschen Reformen ドイツ語
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
シュタイン=ハルデンベルクの改革【シュタインハルデンベルクのかいかく】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
シュタイン‐ハルデンベルクの改革(シュタイン‐ハルデンベルクのかいかく)
シュタインとその後継者ハルデンベルクの行政指導のもとに,1807年秋以降行われた一連の制度改革で,プロイセン改革の基幹部分をなすもの。「十月勅令」(07年10月)による隷農制の廃止と,「調整令」(10年9月)による農民保有地の所有地化の条件規定とによって,特殊プロイセン的な農民解放の型が打ち出され,グーツヘルシャフトからユンカー経営への資本主義的進化が基礎づけられたことは特に重要。そのほか「都市条令」(08年11月)による都市自治制度の再建や,商工業における営業の自由の宣言,中央行政機構の近代化などもその成果である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
Sponserd by 
シュタイン−ハルデンベルクの改革
シュタイン−ハルデンベルクのかいかく
1807年のティルジット条約以後,シュタインとその後継者ハルデンベルクの指導により,プロイセン近代化のために実施された内政改革の総称
フリードリヒ−ヴィルヘルム3世に国政を委ねられたシュタインの農奴解放(十月勅令),都市自治制,近代的内閣制度の確立,それを受け継いだハルデンベルクのギルド的特権の廃止,財政改革,また,シャルンホルスト・グナイゼナウの軍制改革(一般兵役義務制採用),フンボルトの教育改革など。「上からの改革」により封建的社会機構を資本主義経済に適応させようとしたものだったが,解放戦争に勝利したのちは,反動勢力の反対が強まり,ユンカー勢力と妥協して近代化は不徹底に終わった。しかし,これらの改革は,ナポレオンの支配を脱するだけでなく,やがてドイツの統一を実現するプロイセンの発展の出発点ともいえるものであった。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
Sponserd by 
シュタイン=ハルデンベルクの改革
シュタインハルデンベルクのかいかく
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内のシュタイン‐ハルデンベルクの改革の言及
【営業税】より
…一方,ドイツでも,17~18世紀に商工業の発達の早い西南ドイツの諸邦を中心に営業税論が台頭した。1808年に始まるシュタイン=ハルデンベルクの改革を通じて従来の同業組合に対する監督が廃止され,10年の勅令を通じフランスの免許税と同様に,営業鑑札を受け営業税を払うこととひきかえに〈営業の自由〉がみとめられた。20年の営業税法を通じ収益力があると思われる11種目の営業に課税する営業税が確立した。…
【土地改革】より
…革命と反革命を含む社会変動過程で旧土地制度の廃止や変更を目ざして行われる新政権の政策およびその実施過程をいう。それは,世界史的段階と国際的状況,旧土地制度と当面する変革課題,新政権の階級的背景や力量によって多様である。とくに重要なのは資本主義への移行過程における土地改革であり,その構造は以後の発展過程を規定する基本要因となる。ここではまず20世紀初頭までの西欧およびロシアにおける土地改革を概観し(とくに,先行する土地改革が後発の他地域の改革に与える影響に留意する),ついで第2次大戦後の中国の土地改革について記述する。…
【プロイセン改革】より
…1807年から22年にかけてプロイセン王国で行われた農制,営業・租税制度,行政,軍制,教育制度などの諸分野にわたる一連の近代的改革。指導した2人の宰相の名をとってシュタイン=ハルデンベルクの改革Stein‐Hardenbergsche Reformenとも呼ぶ。
[概要]
1806年にイェーナの戦でナポレオン軍に完敗したプロイセンは,翌年のティルジットの和約で,領土の半ばを失い,多額の貢納金の支払,大陸封鎖令による対英貿易の禁止,フランス軍の駐留などの経済的圧迫を被り,国家存亡の危機に
した。…
※「シュタイン‐ハルデンベルクの改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 