エチエンヌ・マルセルの乱(読み)えちえんぬまるせるのらん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エチエンヌ・マルセルの乱
えちえんぬまるせるのらん

1358年、パリの商人組合長エチエンヌ・マルセルが、王政の混乱に乗じて企てた反乱。百年戦争下、1356年フランス王軍はイングランド王太子エドワードの軍勢に敗れた(ポアチエの戦い)。フランス王ジャン2世Jean (在位1350~64)は捕虜となったが、パリに逃げ帰った王太子シャルル(のち5世)を待ち受けていたのは商人組合長マルセルに指導された北フランス三部会の王政批判であった。マルセルはこの年40歳前後、パリ大手の毛織物商で、その父もかつて市政府の要職にあった。商人組合長としての彼は、グレーブ広場(現在のオテル・ド・ビル広場)に市庁舎を定めるなど、パリ市政府の組織固めに功績があり、すでに前年に招集された北フランス三部会の指導権を握って王政批判の立場を明らかにしていたが、このポアチエの敗戦を機に、さらに一歩進めて立憲王制の原則の確立をねらったのである。57年3月に公布されたいわゆる「大勅令」がその原則を明示するものであった。
 しかし王太子シャルルは巧みにマルセルを挑発し、王政府と対決せざるをえない立場に彼を追い込んだ。王太子側近の顧問官殺害が命取りとなった。1358年3月、摂政(せっしょう)を称した王太子はパリを脱出し、コンピエーニュに新たに北フランス三部会を招集して、マルセルと対決する。マルセルは同盟者を求めて「ジャクリー」Jacquerieの一味と連帯し、さらにフランドル諸都市に同盟を呼びかけるが、これは拒否された。パリの民心も彼を離れ、孤立したマルセルは、7月、サンタントアーヌ門塔において、同僚のジャン・マイヤールに殺害された。[堀越孝一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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