日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンピエーニュ」の意味・わかりやすい解説
コンピエーニュ
こんぴえーにゅ
Compiègne
フランス北部、オアーズ県の副県都。人口4万1254(1999)。パリの北北東82キロメートルにあり、オアーズ川両岸に広がる美しい森に囲まれた田園地帯で、パリ市民の優雅な別荘地となっている。タイヤ、マッチ、食品加工、化学製品など多種にわたる製造業が行われる。コンピエーニュ宮殿の所在地としてよく知られるが、町の起源は古代ローマ軍の前哨(ぜんしょう)地であり、のちにメロビング王朝の宮廷所在地となった。宮廷の完全な復原はルイ15世治下(1715~74)に始まり、建築家ジャック・ガブリエルAnge-Jacques Gabriel(1698―1782)が建物をかなり厳密な古典的スタイルに設計した。王と宮廷人が頻繁に狩りに訪れたが、フランス革命(1789~99)後は軍事教練学校、工芸学校として使われた。ナポレオン1世は宮廷を受け継ぎ、修復した。宮廷のもっとも興味をひくものは、上品な装飾を施した綴織(つづれおり)の壁掛けと家具、18世紀後半と19世紀の宮廷人言行録である。1430年にジャンヌ・ダルクが捕らえられた地。また、第一次世界大戦末期にフランス軍総司令部が置かれ、1918年の停戦はコンピエーニュの森の汽車の中で署名された。その記念として保存された同じ汽車の中で、1940年に第二次世界大戦中のドイツ・フランス停戦協定も結ばれた。
[大嶽幸彦]