マルセル(読み)まるせる(英語表記)Étienne Marcel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マルセル」の意味・わかりやすい解説

マルセル(Gabriel Marcel)
まるせる
Gabriel Marcel
(1889―1973)

フランスの哲学者、劇作家パリに生まれる。パリ大学を卒業、アグレガシヨン(哲学教授資格)取得後しばらく教壇にたったが、まもなく雑誌の監修などをしながら自由な思索と著述に専念した。『私の哲学遍歴』によれば、初めベルクソンに魅せられたが、本格的な思索の起点となったのは、むしろブラッドリーロイス思想に触発されてからだとされる。若き日の手記を収めた『哲学断想』(1964)や『形而上(けいじじょう)学日記』(1927)は、そのころの苦闘ぶりを伝えている。しかし、生来の鋭い感受性や宗教的なものへの関心から、モーリヤックの誘いを受けてカトリック入信(1929)、その後書かれた多くの哲学書や戯曲を通じて、のちにキリスト教実存主義といわれた思想を展開した。『存在と所有』(1935)、『拒絶から祈願へ』(1940)、『旅する人間』(1944)などには、第二次世界大戦前から戦時にかけての苦難の時期に書かれた諸論文が収められている。戦後マルセルは未曽有(みぞう)の惨禍にあえいだ人たちへの悼(いた)みとともに、人間の荒廃をなおももたらし続けるもろもろイデオロギー文明害毒を告発し、同時に、取り戻されるべき人間の尊厳について切々と語っている。『人間的なものに叛(そむ)く人びと』(1951)、『知恵凋落(ちょうらく)』(1954)、『人間、この問われるもの』(1955)などがそれにあたる。マルセルは哲学の体系性を嫌うが、それでも『存在の神秘』2巻(1951)は、その思想をかなり組織だって述べた著作である。1957年(昭和32)と1966年に来日、各地で講演し感銘を与えた。

[西村嘉彦 2015年6月17日]

『西谷啓治・小島威彦・渡辺一夫監修『マルセル著作集』8巻・別巻1(1966~1977・春秋社)』『ガブリエル・マルセル著、小島威彦編訳『マルセルにおける人間の研究』(1980・明星大学出版部)』『竹下敬次・廣瀬京一郎著『マルセルの哲学』(1959・弘文堂)』


マルセル(Étienne Marcel)
まるせる
Étienne Marcel
(1315?―1358)

パリの富裕な毛織物商人。プレボ・デ・マルシャン(市長)にもなった。百年戦争が勃発(ぼっぱつ)してフランスの政治、社会の危機が深まるなか、この局面を打開するために開かれた1355~57年の全国三部会で、第三身分の指導者としてきわめて重要な役割を果たした。イギリスに捕虜となった国王ジャン2世にかわって国政をつかさどる王太子シャルル(後の5世)に激しく抵抗して、近代的、議会主義的性格を有する国制改革の断行を求め、「大勅令」(グランド・オルドナンス)を発布させることに成功した。しかし、58年シャルルが「大勅令」の尊重を拒否したので、マルセルはパリ市に暴動を起こしたが、パリ市民によって見離され、同年7月末日、混乱に乗じて王位をねらうナバール王シャルルを同盟者としてパリ市に入城せしめようとしたとき、王党派のジャン・マイヤールの手にかかって落命した。14世紀パリ民衆革命の挫折(ざせつ)した事件として名高い。

[志垣嘉夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マルセル」の意味・わかりやすい解説

マルセル
Marcel, Étienne

[生]1315頃
[没]1358.7.31. パリ
フランスの政治家。パリ毛織物商業組合に属する富商の出身。 1355年パリ商人会頭 (実質上のパリ市長) に選ばれ,全国三部会で指導的な役割を演じた。ポアティエの敗戦で国王ジャン2世がイングランドに捕えられたのち,市民軍を組織してパリを防衛。 57年の全国三部会で,皇太子シャルルに迫って,王の徴税権制限と全国三部会重視の国政改革を目的とする大勅令を公布させた。皇太子が大勅令の実施を拒否したため,58年2月皇太子の面前でその側近2名を殺害し,公然と反乱を起した (エティエンヌ・マルセルの乱) 。ジャックリーと農民暴動 (→ジャックリーの乱 ) をはかったが成功せず,フランス王位をねらうナバール (ナバラ) 王シャルル2世 (邪悪王) と結託してそのイングランド人部隊を首都に導入しようとして,パリ市民の反感を買い,反対派のために殺害された。

マルセル
Marcel, Gabriel

[生]1889.12.7. パリ
[没]1973.10.8. パリ
フランスの哲学者,劇作家。 1912年病んでスイスに行き,第1次世界大戦中は赤十字活動に参加,人間の実存への関心を深めた。 29年カトリックに入信。『形而上学的日記』 Journal métaphysique (1927) はすでにのちの実存主義が展開する多くの問題を扱っており,キリスト教的実存主義の代表者とされる。しかし体系化をきらって問いかけを重視する彼は,新ソクラテス派を自称した。 57,66年の2度来日し,各地で講演を行なった。主著に『存在と所有』 Être et avoir (35) ,『旅する人間』 Homo viator (45) ,『存在の神秘』 Le Mystére de l'être (2巻,51) など。戯曲は約 20編。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android