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カラ・ハーン朝 カラハーンちょう Qara Khān

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世界大百科事典 第2版の解説

カラハーンちょう【カラ・ハーン朝 Qara Khān】

中央アジアを支配したトルコイスラム王朝。840‐1212年。イリグ(イレク)・ハーンIlig Khān朝ともいう。王朝の起源についてはまだ定説がない。O.プリツァクの説によると,840年ウイグル王国が崩壊すると,その支配下にあったカルルク部族連合体が独立,チュー河畔のベラサグンを本拠に新王朝を開いたとされる。サトゥク・ボグラ・ハーンの時代に初めてイスラムを受容し,続くムーサーの時代に当たる960年には20万帳に上る遊牧トルコ人がイスラム化したという。

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世界大百科事典内のカラ・ハーン朝の言及

【トルコ族】より

…このうち,ビシュバリク,高昌方面におちついた者たちは,9世紀後半,この地の支配権を獲得し,カラシャフルからクチャに至る天山南麓のオアシス地帯をも支配下におく〈西ウイグル王国〉(〈天山ウイグル王国〉ともいう)を建設し,13世紀のモンゴルの侵入時代までこの地域の支配を続けた。一方,チュー川・タラス川方面に向かったウイグル族は先住のカルルク族などと交わって〈カラ・ハーン朝〉(840‐1212)と呼ばれる新国家を建設し,やがて9世紀末には,その支配権をタリム盆地西部のオアシス定住地帯にも及ぼした。かくして,ウイグル族の西方移動を契機として,従来アーリヤ人の居住地であった東トルキスタンには,東の西ウイグル王国と西のカラ・ハーン朝という二つのトルコ族の国家が並立し,以後この地域のトルコ化が徐々に進行し,それは13世紀のモンゴルの侵入期までにほぼその完成を見た。…

※「カラ・ハーン朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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