ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルル6世」の意味・わかりやすい解説
カルル6世
カルルろくせい
Karl VI
[没]1740.10.20. ウィーン
神聖ローマ皇帝 (在位 1711~40) 。レオポルト1世の子。 1700年スペイン王カルロス2世の死により,王位継承者に指定されたが,フランス王ルイ 14世が自分の孫アンジュー公 (のちのスペイン王フェリペ5世) にスペインの全相続財産を要求したため,カルルを推すアウクスブルク同盟国と衝突し,スペイン継承戦争が勃発。その間イギリスの支持を得てバルセロナに滞在,スペイン王カルロス3世を称した。 11年兄ヨーゼフ1世の病没にあって皇帝位を継承。しかしアウクスブルク同盟国のイギリス,ネーデルラントの両国が,一大ハプスブルク王国の建設を恐れたため,カルルはスペイン本土とスペイン領アメリカの領有を放棄した。 13~14年ユトレヒト,ラシュタット,バーデンの各条約を結び,ナポリ,ミラノ,スペイン領ネーデルラント (現ベルギー) などを得た。また 16~18年トルコと戦ってパッサロウィッツの和約を結び,東ヨーロッパに領土を拡大したが,33年ポーランド継承戦争に敗れ,36年以降トルコに連敗し,39年のベオグラードの講和で,パッサロウィッツの和約で得た領土をトルコに返還した。なお,娘マリア・テレジアのために,13年国事詔書 (国本勅令) を発布し,ハプスブルク家の全領土を相続させることに成功したが,この問題をめぐり,後日オーストリア継承戦争が起った。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報