日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーデン」の意味・わかりやすい解説
バーデン(ドイツ)
ばーでん
Baden
ドイツの南西端に位置し、1952年以降ドイツ連邦共和国のバーデン・ウュルテンベルク州の一部となった独立国家。1112年バーデン辺境伯領として出発し、以来19世紀に成立したバーデン大公国に至るまで、ツェーリンク家が連綿として支配した。最初は領土も小さく、さらに宗教改革時代にはその発祥地となった農民戦争に悩み、国土も新教のバーデン・ドゥルラッハ、旧教のバーデン・バーデンに分裂しルイ14世時代にはその侵略に悩まされた。カール・フリードリヒ公Karl Friedrich(1728―1811)のもとで、1771年辺境伯領再統合がなり、かつナポレオンと結んで近隣諸国を併合して一躍ドイツの一強国となった。1806年バーデン大公国となりライン同盟に参加したが、ウィーン会議後も大公国の位置を確保した。自営農民と農村工業の発展に支えられて自由主義運動が発展し、18年憲法の制定、著名な学者・政治家の輩出、48年の革命での指導的役割、ドイツ国憲法闘争での拠点としての役割、革命後の憲法体制維持など、一貫してドイツでもっとも自由主義的な国であった。
プロイセン・オーストリア戦争ではプロイセンに対立したが、プロイセン・フランス戦争ではプロイセンにくみしてドイツ帝国の一員となった。1918年の革命直前、大公マックスが帝国宰相となって自由主義的改革を行ったが敗れ、バーデンも共和国となり、以後、小市民的政治風土に支えられ、自由主義者、社会民主党、カトリック教徒が提携して政府を維持した。
[岡崎勝世]
バーデン(オーストリア)
ばーでん
Baden
Baden bei Wien
オーストリア北東部、ニーダーエスターライヒ州の都市。人口2万4502(2001)。ウィーンの森の東斜面がウィーン盆地へと移り変わる所にある温泉療養都市。15の泉源(硫黄(いおう)泉36℃)はすでにローマ時代より知られ、20世紀の二つの大戦間は観光保養の最盛期であった。第二次世界大戦後ソ連の占領期間に損傷を受けたが、現在も豊かな自然に囲まれた温泉と観光の町として栄えている。擬古典主義の建築物の保存がよく、オーストリア・ハンガリー帝国時代のおもかげが残されている。モーツァルト、ベートーベン、シュトラウス兄弟など多くの音楽家、文化人が訪れており、1803~34年にはオーストリアの皇室が夏の避暑地としていた。周囲にはブドウの産地が広がり、ワインの名産地でもある。
[前島郁雄]
バーデン(スイス)
ばーでん
Baden
スイス北部、アールガウ州の都市。人口1万6193(2001)。リマト川の谷にあり、隣接するウェッティンゲン、オーバージッゲンタール、エネトバーデン、ノイエンホーフとともに人口約5万の人口集中地区を形成する。ローマ時代からの温泉保養地であるが、19世紀に工業化が始まり、現在は大企業ブラウン・ボベリー社の電気機器工業が町の中核をなし、その従業員は隣接町村から通勤している。広域的には大チューリヒ地域(チューリヒ大都市圏)に含まれる。
[前島郁雄]