キラーファト運動(読み)キラーファトうんどう(英語表記)Khilafat movement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キラーファト運動
キラーファトうんどう
Khilafat movement

第1次世界大戦の直後から 1920年代の初めにかけて,インドのイスラム教徒の間に盛上がったトルコカリフ制擁護運動。インドのイスラム教徒の間には,第1次世界大戦前から,トルコ,アラブのイスラム教徒との連帯を望む汎イスラム主義が芽生えていたが,大戦でトルコが敗れたのち,19年9月カリフ制擁護の中央キラーファト委員会が結成された。同年 11月のキラーファト全国会議では,M.ガンジーが議長をつとめた。 20年8月トルコが分割されると,この運動は大衆運動に転じ,また国民会議派もカリフの地位の擁護を不服従運動の目標に掲げて,イスラム,ヒンドゥー両教徒が肩を並べて反英運動を進めた。しかし 22年2月のチャウリ・チャウラ村の事件の責任をとってガンジーが突然不服従運動を中止したため,運動は混乱,次いで 24年トルコでカリフ制が廃止されたことから,運動は衰退。しかしこの運動は,イスラム教徒の政治意識の目覚めに大きく貢献した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キラーファト運動
きらーふぁとうんどう
Khilfat Movement

インドのイスラム教徒の間に第一次世界大戦直後に高まった反英運動。大戦以前から列強によるオスマン朝への侵略に抗議する声がおこっており、大戦中、オスマン朝への同情もあった。しかしインド人は自治拡大を期待してイギリスに協力した。戦後イギリスは逆に弾圧法でこれに臨み、1919年アムリッツァル大虐殺を行った。これに怒ってガンディーが指導する民族運動が始まった。このときイスラム教徒は敗戦国オスマン朝のカリフを守るためアリー兄弟を指導者に全インド・キラーファト会議を19年末に組織した。20~21年ガンディー指導の民族運動と合流し、先頭にたった。しかし、22年2月、ガンディーが非暴力的抵抗運動を停止したのち、ヒンドゥー教徒との統一闘争は挫折(ざせつ)していった。[加賀谷寛]

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