ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(読み)ゲッツフォンベルリヒンゲン

百科事典マイペディア の解説

ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン

ゲーテ戯曲。5幕。1773年作。16世紀に実在した隻腕騎士伝記もとに,古風な正義と自由を主張する素朴な男が,新時代の波と宮廷政治陰謀翻弄(ほんろう)されて没落する姿を描く。シェークスピアにならって三統一を打破した劇形式を採用,ドイツ文学の新時代到来ののろしとなった。

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世界大百科事典(旧版)内のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの言及

【シュトゥルム・ウント・ドラング】より

…この運動の主要な劇作家は,クリンガーとJ.レンツの対比に見られるごとく,情熱的天才タイプと感傷的情緒不安定タイプに大別される。代表的戯曲を傾向別に挙げると,まず自己の本性の無限の実現を邪魔するいっさいの生活規範を否認する〈どえらい奴grosser Kerl〉を描くゲーテの《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773),クリンガーの《双生児》(1776)など,次に普遍的人間的自由への革命的要請を歌いあげたシラーの《フィエスコの反乱》(1783),《たくらみと恋》(1784),第3に社会における個人の自由を求めたライゼウィッツJohann Anton Leisewitz(1752‐1806)の《ターレントのユーリウス》(1776),シラーの《群盗》(1781),そして社会的被抑圧者のための正義を訴えたワーグナーHeinrich Leopold Wagner(1747‐79)の《嬰児殺し》(1776),レンツの《軍人たち》(1776)に大別される。しかし,これらの独創的な天才たちが提示した文学の本質に関する基本的見解は,ゲーテやシラーの古典主義作品,さらにはロマン主義文学に受け継がれ,20世紀の表現主義文学にもつながる重要な発言であったが,この運動の持つ既成秩序に対する抗議,反抗といった側面は過渡期的現象に終わり,急速に衰退していった。…

【ドイツ演劇】より

…劇作では,フランス古典主義演劇の形式を退けて,シェークスピアに範をとる多場面構成で,強烈な個性をもつ人物をもつ戯曲が求められた。ゲーテは史劇《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773)によってその要望を満たし,70年代中葉にはほかにも注目すべき劇作が発表されたが,J.C.F.シラーの《群盗》あたりからこの運動は退潮した。ゲーテはワイマールに移ってから,しだいに古典主義的な立場をとり,ワイマール宮廷劇場の監督として様式の確立に腐心するようになった。…

【ベルリヒンゲン】より

…1525年ドイツ農民戦争が起こると,オーデンワルト農民団の最高指揮官となったが,6月2日のケーニヒスホーフェンの戦を前にして脱走。のちにゲーテはこれらを素材として史劇《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》を創作し,主人公の名を不朽のものとした。【瀬原 義生】。…

【ロマン派演劇】より

…疾風怒濤派は,とくに劇文学において,〈三統一〉の法則を典型とする古典主義の〈法則の強制〉に反発し,啓蒙的な合理主義に対して感情の優位を主張して,シェークスピアを天才的で自由な劇作の典型として崇拝した。ゲーテの小論《シェークスピアの日に》やJ.レンツの《演劇覚書》にもその主張が見られ,ゲーテの《ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン》(1773),シラーの《群盗》(1781)はのちの各国のロマン派に影響を与えた。 一方,ゲーテ,シラーが古典主義的な完成期に向かうころに生まれたドイツのロマン派は,単純な感情優位の運動ではなく,合理と不合理を総合しようとしたもので,疾風怒濤に間々みられたような理性を排除しようとするものではなかった。…

※「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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