山川 世界史小辞典 改訂新版 「サーサーン朝」の解説
サーサーン朝(サーサーンちょう)
Sāsān
224~651
イランのイスラーム期直前の王朝。パルティア王国を倒したアルダシール1世により創始された。西アジアの広大な地域を領有し,イラン古代史上の隆盛期を画す。国教はゾロアスター教で神政国家の性格を有し,行政・司法組織が整備されていた。歴代約30人の王が即位したが,なかでもシャープフル1世,シャープフル2世(在位309~379)は同朝初期の英主で,ともにローマ帝国と戦った。同朝末期には名君フスラウ1世が統治し,イエメン遠征,エフタル攻撃で国威を示すとともに,公正なる政治を行い,同朝の最も輝かしい時期であった。しかし,その後内紛が起こり,しだいに弱体化した。最後の王ヤズデギルド3世(在位632~651)のとき,642年ニハーヴァンドの戦いでアラブに敗退して,同朝は事実上崩壊し,王は651年メルヴ付近で殺害された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報