イラン美術(読み)イランびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「イラン美術」の意味・わかりやすい解説

イラン美術 (イランびじゅつ)

イラン美術とは,イラン高原およびフージスターン地方に,前6000年ころからアラブに征服される後7~8世紀ころにいたる期間,エラムなどの土着(非イラン系)民族およびイラン民族によって制作された美術である。

 イラン高原は西をメソポタミア平野,アナトリア高原,東をインド,北を中央アジアの草原地帯に囲まれ,東西南北の交渉の中心地にあった。このような地理的特質から,あるいはイラン高原に興った王朝が西アジアから中央アジアの一部を支配するにいたったため,イラン美術は諸外国の既存の美術から多くの影響を受けている。それゆえ,イラン美術の特質の一つとして,折衷性が挙げられようが,しかし,イラン高原の民族は,外国の美術を単に受動的あるいは従属的に受容したのではなく,そこに彼ら自身の造形感覚を加味し,写実性と適度な装飾性がみごとに調和した,独自の美術を創出した。このような特質は,金・銀を主体とする工芸品に最も鮮明に表れている。また,その造形は王侯貴族の趣向に適合するものであった。そのため,イランの美術は,王侯貴族の生活を華麗典雅にする家具調度類,容器,あるいは帝王の絶対性を誇示するための記念碑的な作品が中心である。それゆえ,イラン美術は仏教美術キリスト教美術に匹敵する宗教美術を創造することはなく,王侯貴族の現世の生活や来世の生活に直結した徹底した世俗性をその特色とする。またギリシア・ローマ美術とは異なり,個性を表現しようとする意図は全くなく,人物でも動物でも画一的に描写している。

 イラン高原には前6000年ころにすでに彩文を施した土偶が出現し,前4千年紀にはメソポタミアの彩文土器をしのぐ優秀な図柄と形態感覚を示す土器が製作され,イラン美術の伝統的なすぐれた装飾感覚,バランスのとれた意匠化がみられる。前3千年紀の前エラム時代には,メソポタミアの人物・動物表現に影響されながらも,写実的で,装飾性に富み,しかも人間味あふれる美術を創出した。特に動物の姿によって人間の精神感情を表現するのに傑出している。前2千年紀にはエラム古王国,中王国がイラン南西部に栄え,大規模な神殿建築,優秀な金属工芸,石製やビチューメンの彫刻,ファイアンス,彩釉煉瓦,磨崖浮彫などに秀作を残している。

 このような非イラン系民族の美術は,前2千年紀後半にイラン高原へ侵入定着したアーリヤ人(イラン民族)に継承され,その装飾性と写実性とが調和した美術がいっそう追求され,発展した。前2千年紀終末から前1千年紀前半にかけての美術は,ルリスタンルリスタン青銅器),ハッサンルHassanlu,ジビエ,マルリクMarlikなど,北西イラン,カスピ海南岸の山岳地帯の古墓から出土する金属器,土器(磨研土器,形象土器)などの工芸品によって知られる。これらの工芸品には,アッシリアアッシリア美術),ウラルトゥ,エラムなど先進諸国の美術(技法,図像,様式)の影響が顕著であるが,その動物表現や人間表現においては,すぐれた造形感覚を示している。最も注目すべきは,支配階級が所有した金・銀の奢侈品で,動物や神々の造形表現にみられる洗練された装飾感覚は,次代のアケメネス朝ペルシアの宮廷様式へと発展していった。

 アケメネス朝(前559-前330)はメディア王国の領国を継承し,さらにインダス川からエジプト,地中海東岸,小アジアを領有したので,その帝国内には既存の種々の美術的伝統が存在した。アッシリア,新バビロニア,エジプト,メディア,ギリシア(イオニア),ウラルトゥ,エラムなどの諸美術から多くの要素を摂取し,それらを融合調和して,〈宮廷様式〉をつくりあげた。王都パサルガダエ,スーサ,ペルセポリスエクバタナハマダーン)などから発掘出土した遺構・遺物は,アケメネス朝宮廷の物質的豊かさと共に,均一な美術様式が全土に行きわたっていることを示している。その特色はすぐれた写実性と装飾性の調和にあるが,帝国の威厳,帝王を中心とした王侯貴族の趣向・理念を反映するにふさわしく,高度に洗練され完成された美術である。このように,アケメネス朝の美術活動は宮廷が中心であったため世俗性が顕著で,宗教美術や民衆芸術は存在しなかった。美術活動は宮殿や墓廟建築が中心で,絵画や彫刻は建築を装飾するという従属的意義しかもっていなかった。彫刻は独立した丸彫は例外的で,ほとんど壁面を飾る浮彫である。絵画や浮彫の主題は帝王の神聖なる出自(王権神授)や帝王の超絶的な力などを宣伝するもので,金・銀を主とする金属工芸は宮廷,王侯貴族の生活を彩るべく製作された。
アケメネス朝美術
 このようにアケメネス朝の美術は宮廷や王侯貴族とあまりにも密着していたので,前330年,アレクサンドロス大王が同王朝を滅ぼすと同時に消滅した。代わって,イラン高原には,ギリシア美術がマケドニア系のセレウコス朝(前312-前64)により移植された。ギリシア系の美術は次のアルサケス朝パルティア(前250-後224)の支配下でも大いに流行した。アルサケス朝の初期には積極的にギリシア文化を摂取し,イランの伝統的な王権神授の観念やイランの神々をギリシア美術の図像を借用して表すなど,非イラン的な美術を創造していたが,しだいに反ギリシア的な要素の強い美術が生まれてきた。それは,ギリシア美術の理想的写実主義に代わって,古代オリエントの土着の文化・観念,あるいは遊牧騎馬民族のパルティアの趣向が主導するもので,通常〈パルティア様式〉といわれる。その特色は,正面観描写,硬直した姿勢,線描主体,外観を微細克明に再現する〈真実主義〉に代表される。このようなパルティア様式の美術はイラン南部のエリマイスElymaïs(エリマイドElymaïde)王国の磨崖浮彫やイラク北部のハトラ出土の彫刻にみられる。これらは多かれ少なかれ,パルティアの宮廷様式を反映したものであるが,その様式的特色はギリシア美術と土着のオリエント美術を折衷したもので,アケメネス朝美術のような強い独自性,個性を欠く。その代りに宮廷中心の美術だけでなく,彩釉陶器,形象土器,装飾品などの工芸品に民衆芸術が芽生えている。宗教美術に関しては,ヘラクレス神(ベレスラグナVerethragna神)の信仰,英雄化した王朝の祖先の信仰などを表したギリシア風の彫刻はみられるが,仏教やキリスト教のような図像の体系は,全く確立していない。
パルティア美術
 パルティア美術はギリシア美術を母胎とし,アケメネス朝美術を継承することなく誕生したが,アケメネス朝と同じくイラン南部ファールス地方に興ったササン朝(224-651)はアケメネス朝の正統な後継者を自認していたので,アケメネス朝美術の伝統を尊重し,イラン民族の栄光,その独自性の高揚に努めた。むろん,ササン朝初期の美術にはパルティアの衰退した技法,形式が認められるが,やがて当時敵対していたローマ帝国の写実的美術を摂取し,的確な写実性,立体感,アケメネス朝由来の均衡のとれた装飾性を備えた様式および図像体系を確立した。それはアケメネス朝と同じく宮廷を中心とした奢侈芸術で,帝王の絶対性,超越性を誇示するために制作され,宗教的要素は王権神授の神像(オルムズドOrmuzd神,アナーヒター女神)以外にほとんどなく,きわめて世俗性が強い。しかし,この世俗的美術は,写実を超えた様式化,意匠化がみごとで,周辺諸国にも受容され,シルクロードを通して日本にまでもたらされた(正倉院の宝物)。
ササン朝美術
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イラン美術」の意味・わかりやすい解説

イラン美術
イランびじゅつ
Iranian art

イラン高原を中心に発展したイラン (ペルシア) の美術。大きく6時期に区分される。 (1) 先史時代 前 8000~7000年頃からイラン高原では土器が作られ,前 4000年頃には初期定住農耕民により彩文土器が作られた。前2千年紀後半から騎馬遊牧民文化の性格を物語るルリスターン青銅器 (→ルリスターン美術 ) が出現した。 (2) アケメネス朝時代 (前 550~330)  ダレイオス大王によるペルシア統-は,壮大なオリエント王朝芸術を開花させた。ペルセポリスの大宮殿建築,力強い石の浮彫,豪華な黄金製品などが強大な王権を表現している。 (3) パルティア時代 (前3~後3世紀)  アレクサンドロス大王の東征以後,ギリシア的要素とイラン的要素が混在し,ハトラの遺跡には両者の融合がみられる。彫刻や絵画には,静的で安定感のある正面主義の表現が著しい。 (4) ササン朝時代 (224~651頃)  古代オリエント芸術の最後を飾る王朝美術が栄えた。多くの磨崖浮彫や金銀浮彫細工が王権を誇示している。建築では,クテシフォンの巨大なイーワーンにみられるようなアーチやドームが発達。ガラス工芸や金銀器には国際色豊かな東西交流が偲ばれる。 (5) 初期イスラム時代 (651~13世紀中頃のモンゴル侵入まで)  イランの伝統とイスラム美術が融合,発展した。セルジューク朝時代にはモスクやマドラサなどの建築が様式的に発展。金属的光沢をもつラスター彩やミナイ彩など陶芸技法の発達がみられる。 (6) 後期イスラム時代 イラン・イスラム美術の爛熟期。チムール朝時代に開花したミニアチュールや建築のタイル・モザイク装飾は,サファビー朝時代になると,さらに優雅で繊細華麗なものへ発展した。イスファハンのマイダーネ・シャーは,完成されたイラン美術の美の極致を表現したものといえる。

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