アルダシール1世(その他表記)Ardashīr Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「アルダシール1世」の意味・わかりやすい解説

アルダシール[1世]
Ardashīr Ⅰ

ササン朝ペルシア初代の王。在位224-240年。その名は古代ペルシアの王アルタクセルクセスに由来する。ペルセポリスに近いイスタフルの王であったパーパクの子。ペルシア地方を制圧したのち,バビロニアに進出し,224年にアルサケス朝のアルタバヌス4世を敗死させて,ササン朝の支配を開始した。その後,東方遠征においてクシャーナ朝を服属させたが,彼の称号イランの諸王の王〉が示すように,その帝国の基本的部分はイランとメソポタミアにとどまっていた。ササン朝に特徴的な都市建設の政策は彼に始まり,アルダシールの名を付した8都市を建設したといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルダシール1世」の意味・わかりやすい解説

アルダシール1世
アルダシールいっせい
Ardashīr I

[生]?
[没]241
古代イラン,ササン朝の創設者 (在位 226~241) 。ファールス地方のイスタクルのアナヒタ神殿の祭司であったササンを祖父とし,地方領主であったバベクを父として生れたと伝えられる。父の死後ファールスの支配者となり,ケルマーン,イスファハン,アフワズ方面に勢力を拡大,224年パルティア帝国アルタバヌス5世を倒してクテシフォン占領。 226年即位し,以後アゼルバイジャン,メルブ,ホラズムバクトリア,さらにアルメニアをも併合,イラン統一に成功してササン朝の基礎を固めた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アルダシール1世」の解説

アルダシール1世(アルダシールいっせい)
Ardashīr Ⅰ

?~241頃(在位224~241頃)

サーサーン朝初代の王。224年にパルティア最後の王と戦ってこれを破り,226年クテシフォンを陥落させて全土支配権を掌握した。アケメネス朝後継者であることを強く自認し,ゾロアスター教信仰を国家統制のもとに置いた。

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世界大百科事典(旧版)内のアルダシール1世の言及

【ササン朝】より

…パールス地方にはアケメネス朝の伝統が強く保存され,パルティアの支配のもとに王を称する土着の君侯が存在していた。3世紀初めころ,ササンの子パーパクPāpakがイスタフルの王となり,パーパクの子アルダシール1世のときに,イラン南部からバビロニアに進出して224年にアルサケス朝のアルタバヌス4世を敗死させ,首都クテシフォンにおいて新しい帝国支配を開始した。第2代のシャープール1世は対外的発展につとめ,西方では3度ローマ軍を破り,東方ではクシャーナ朝を併合し,シル・ダリヤ地方まで勢力を拡大した。…

【ササン朝美術】より

…建築遺構は宮殿,神殿,城砦,橋梁(きようりよう),堰堤(えんてい)などで,数も少なく,保存状態も概して悪く,ほとんどが廃虚と化している。 宮殿の遺構は13ほど知られるが,最も初期のものとしてフィルザバードの,ササン朝初代の王アルダシール1世(在位224‐240)の宮殿址がある(図)。103m×55mの長方形プランで,南北の長軸を中心に左右対称形にレイアウトされている。…

【フィルザバード】より

…直径約2km。町は古くはグールGūrと呼ばれたが,ササン朝初代の王アルダシール1世がアルサケス朝のアルタバヌス5世を破った後に,パルティアの都市プランにならって建設し,〈アルダシール・フルラArdashīr‐khurra(アルダシールの栄光)〉と命名。その後10世紀にブワイ朝の支配者が現在の名称に改名した。…

※「アルダシール1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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