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スリースウィー問題 スリースウィーもんだい

世界大百科事典 第2版の解説

スリースウィーもんだい【スリースウィー問題】

シュレスウィヒ・ホルシュタイン問題〉のデンマーク史の観点にたつ呼称。19世紀のナショナリズムの高揚のもとで対峙するデンマーク・ドイツ間の,デンマークの公爵領スリースウィーSlesvig(ドイツ語でシュレスウィヒSchleswig)の帰属をめぐる係争で,ドイツのシュレスウィヒ・ホルシュタイン主義Slesvigholsteinismeとデンマーク自由主義者のアイダー主義Ejderpolitikの双方の要求がまっこうから対立した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内のスリースウィー問題の言及

【デンマーク】より

…戦勝国との間に1814年〈キール条約〉を結び,ノルウェーをスウェーデンに割譲し,ノルウェーとの同君連合に終止符を打った。34年,四つの地方議会が開設されるが,南からドイツ化が進行しつつあったスリースウィーでは議場を中心にデンマーク語,ドイツ語をめぐる闘争が展開され,民族抗争が激化した(スリースウィー問題)。48年コペンハーゲンに無血革命が起き,絶対王政が崩壊すると,キールではドイツ志向の〈シュレスウィヒ・ホルシュタイン主義者〉が臨時政府樹立を宣言し,ドイツ連邦の援助を仰いだため,デンマークとプロイセンが出兵し戦争に突入した。…

【ユトランド半島】より

…1864年第2次スリースウィー(シュレスウィヒ)戦争におけるデンマークの敗北の結果,コンゲオー川以南のスリースウィー(南ユラン)を失った。1920年ベルサイユ条約に基づく住民投票の結果,スリースウィーの北部がドイツからデンマークに復帰したが,現在,かつてのスリースウィー公爵領の中央を,スキールベック川に沿って東西に国境線が引かれている(スリースウィー問題)。デンマーク部分は,面積2万9767km2,人口233万7866(1980)で,王国全体の面積の69%,人口の46%を占めるが,国内の後進地域となっている。…

※「スリースウィー問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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