セナパティ(英語表記)Senapati

改訂新版 世界大百科事典 「セナパティ」の意味・わかりやすい解説

セナパティ
Senapati
生没年:?-1601

インドネシア,ジャワ中部のマタラム・イスラム王国の建設者。在位1582(一説には1574)-1601年。パネンバハン・セナパティ・インゴロゴともいう。父キヤイ・グデ・パマナハンの代からマジャパイト国の代官として現在のジョクジャカルタ南東郊外のコタ・グデ付近に勢力を得ていた。セナパティは即位後,何度か北東部海岸地方を攻撃したが,これを完全に征服するにはいたらなかった。しかし,1601年に没した時には,すでに中部ジャワの大部分はその支配下に入っていたと考えられる。その子パネンバハン・クラピアク,孫スルタン・アグンの時代に国勢は盛んになり,中部・東部ジャワ全土を支配した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セナパティ」の意味・わかりやすい解説

セナパティ
Senapati

[生]?
[没]1601
インドネシア,ジャワ中部のマタラム王国の建設者。なかば伝説上の人物で,マジャパイト王国の代官であったが,のちに独立の王国を建てたという。マタラム周囲小国を併合して急速に成長した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のセナパティの言及

【ジョクジャカルタ】より

…サンジャヤ朝シンドク王は天災または伝染病のために929年ころ都を東ジャワのクディリに移した。《ジャワ年代記》によれば,16世紀後半にジョクジャカルタ南東郊外のコタ・グデにキヤイ・グデ・パマナハンなる者が勢力を得,その子セナパティが再びマタラムの国号をもつ王国(マタラム・イスラム)を建てたと伝えられる。しかし彼およびその子パネンバハン・クラピアクについては不明の点が多い。…

※「セナパティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android