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マジャパイト

百科事典マイペディアの解説

マジャパイト

13世紀末ジャワのシンガサリ朝の一族ビジャヤ(王名クルタラージャサ・ジャワルダナ,在位1294年―1309年)が,モンゴル軍来襲の混乱を利用,旧領を復してスラバヤ付近ブランタス川流域のマジャパイトMajapahitに開いた王朝。
→関連項目インドネシアジャワ[人]ジョホール[州]マタラムマレーシア

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世界大百科事典 第2版の解説

マジャパイト【Majapahit】

1293年から1520年ごろまで,ジャワ東部を中心として栄えたインドネシア史上屈指の大国。ジャワのヒンドゥー諸王朝中,最大にして最後のものである。 シンガサリ朝最後の王クルタナガラが暗殺された1292年に,その女婿ビジャヤは最初,簒奪者ジャヤカトワンに降伏して,スラバヤ付近に注ぐブランタス下流域の土地を与えられた。この土地に生えていたマジャという木の実が苦かった(〈パイト〉は〈苦い〉の意)という故事から,マジャパイトという地名が生じた。

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世界大百科事典内のマジャパイトの言及

【インドネシア】より

…その後マラン平原にシンガサリ王国が興ってマドゥラ島やバリ島にまで勢力を伸ばした。この王国の末期に元軍のジャワ侵攻が行われたが,これを撃退しモジョケルトを王都として1293年に成立したマジャパイト王国は,その後2世紀半にわたって威勢を誇った。ことに14世紀半ば第4代王ハヤム・ウルクと宰相ガジャ・マダの時に全盛期を迎え,インドネシア各地に勢力圏を広げた。…

【ナーガラクルターガマ】より

…インドネシア,ジャワ島のマジャパイト王国の宮廷詩人プラパンチャが1365年に作った長編の賛歌。当時のマジャパイトは国王ラージャサナガラ(通称ハヤム・ウルク)のもとで最盛期にあり,作者は仏教の最高聖職者の家庭に生まれて,幼時には王の遊び友だちであったと伝えられる。…

※「マジャパイト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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