ダムド(読み)だむど(その他表記)Damned

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダムド」の意味・わかりやすい解説

ダムド
だむど
Damned

セックス・ピストルズクラッシュと並び、ロンドンパンクを代表するロック・グループの一つ。

 クラッシュの前身グループ、ロンドンSSに在籍していたブライアン・ジェームズBrian James(1955―2025、ギター)は、1976年ラット・スキャビーズRat Scabies(1955― 、ドラムス)とともに新たなグループを結成。そこにデイブ・バニアンDave Vanian(1956― 、ボーカル)とキャプテンセンシブルCaptain Sensible(1954― 、ベース)が加入し、ダムドが結成される。

 当時まさに発火寸前であったロンドンのパンク・ムーブメントのただ中にあった彼らは、1976年9月にセックス・ピストルズらとパンク・フェスティバルに出演、評判となる。スティッフ・レコードと契約した彼らは、11月にシングル「ニュー・ローズ」でロンドン・パンク初のレコード・デビューを飾った。高速で疾走するビートとたたきつけるような轟音(ごうおん)サウンドは、続くファースト・アルバム『地獄に堕(お)ちた野郎ども』(1977)の全体に貫かれている。わずか10時間で録音されたというこのアルバムは、ロンドン・パンク最初のアルバムであり、ジェームズのポップ・センスに溢(あふ)れた小気味いい楽曲とパワフルなサウンドが理想的なバランスを保った傑作であった。

 すぐにセカンド・アルバム『ミュージック・フォー・プレジャー』(1977)をリリースしたが、グループの中心人物であったジェームズが1978年脱退、解散状態となる。

 翌1979年、キャプテン・センシブルがギターを担当して再結集。ベースは何人かのメンバーが入れ替わった後、ポール・グレイPaul Gray(1958― )に落ち着く。『マシンガン・エチケット』(1979)、『ブラック・アルバム』(1980)、『ストロベリーズ』(1982)とその後リリースされたアルバムはキャプテン・センシブルが主導するダークなサウンドを特徴とするが、1984年にキャプテン・センシブルもソロに転向し、ダムドはふたたび解散状態に追い込まれる。

 その後バニアンはメンバーを募(つの)り、ダムド名義で『ファンタスマゴリア』(1985)など2枚のアルバムをリリースするが、1988年にダムドはジェームズを含む初期オリジナル・メンバーで復活ライブ・アルバム『ファイナル・ダムネイション』(1989)発表後もメンバー・チェンジをしながら活動を続け、『グレイブ・ディソーダー』(2001)などをリリースしている。

増田 聡]

『ジョン・サヴェージ著、水上はるこ訳『イングランズ・ドリーミング――セックス・ピストルズとパンク・ロック』(1995・シンコー・ミュージック)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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