チェルケス(その他表記)Cherkess

改訂新版 世界大百科事典 「チェルケス」の意味・わかりやすい解説

チェルケス
Cherkess

カフカス諸語のアディゲイ・チェルケス語群諸語を用いるアディゲAdigei,チェルケス,カバルダKabarda3民族の総称。別称アディグAdig。英語ではサーカシアン(シルケシア人)Circassian,トルコ語でチェルケスÇerkes,Çerkez,アラビア語でジャルカスJarkas。人口は旧ソ連邦内で56万8400(1989。アディゲ人12.5万,チェルケス人5.24万,カバルダ人39.1万)。彼らの祖先太古より北カフカスの黒海岸に住み,種々の名称で呼ばれていた。13~14世紀,一部がアラン人の故地であったテレク川上流に移住して,カバルダ人の祖先となった。黒海岸からクバン低地に残った者がアディゲ人の祖先であるが,彼らは当時ジェノバ商人に蜜蠟,果物,チョウザメ,毛皮を売り,塩,武具,手工業製品を買っていた。カラチャイ・チェルケス共和国のチェルケス人は,アディゲ人の一部族と19世紀に移住したカバルダ人からなる。13世紀以後,順次キプチャク・ハーン国,クリム・ハーン国,オスマン帝国の支配力が及び,18世紀からはスンナ派イスラムが普及した。19世紀初期までは特徴ある部族組織が維持されていた。

 他方中世には,奴隷として多量の人口がイスラム諸国に流出し,奴隷軍人(マムルーク)として重用され,とくにエジプトのブルジー・マムルーク朝はチェルケス人の建てた王朝として知られる。ロシアに併合された後は,オスマン・トルコ領に移り住む者も少なくなかった。今日でもヨルダン国王の親衛隊には彼らが用いられている。チェルケス服をはじめ彼らの物質文化は,他のカフカス諸民族や,コサックにも受容されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のチェルケスの言及

【マムルーク朝】より

…しかし1347‐48年のペストの大流行によって都市と農村の人口は激減し,ナーシル没後は幼少の息子たちが相次いで即位したために,実権を握るアミールたちの抗争によって政局は混乱を極めた。 この機に乗じてチェルケス人マムルークのバルクークが政権を握り,ブルジー・マムルーク朝を開いたが,この時代のスルタンは家系によらず,有力アミールの選挙によって選ばれるのが慣例であったから,軍閥相互の勢力争いは一段と激しくなった。またペストの流行も相次いだために経済状態はさらに悪化し,エジプト市場から金貨と銀貨が消失して,やがて銅貨の時代が始まった。…

※「チェルケス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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