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ドイツ統一問題 ドイツとういつもんだいDeutsche nationale Einheitsfrage

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドイツ統一問題
ドイツとういつもんだい
Deutsche nationale Einheitsfrage

第2次世界大戦後アメリカ,イギリス,フランス,ソ連の四大国の分割占領下におかれたドイツ統一に関する問題。 1949年9月にドイツ連邦共和国 (西ドイツ) ,10月にドイツ民主共和国 (東ドイツ) が発足し,ドイツは完全に2つの国家に分裂した。 51年 11月西ドイツは国連管理下の全ドイツの自由選挙を提唱したが東ドイツは拒否。 52年3月ソ連が統一・非武装・中立ドイツを前提とする対独平和条約案を発表,西側も覚え書を発表したが結局歩み寄りは成立しなかった。 54年1月統一に関するアメリカ,イギリス,フランス,ソ連の4ヵ国外相ベルリン会議で西側は国連管理下の自由選挙による統一政府案を,東側は現存の2つのドイツ国家の代表から成る臨時政府と,それによる統一を主張したが話合いは平行線をたどった。 54年西ドイツの再軍備と北大西洋条約機構 NATO加盟を決めたパリ協定の成立以降は,東西ドイツの統一は事実上不可能となり,これを境として東西両陣営とも統一は主張するものの,現実には分裂国家の道を歩むこととなった。 69年西ドイツに W.ブラント政権が誕生し,ヨーロッパの緊張緩和が進行するなかで,70年に2度にわたって東西ドイツ首相会談が開かれ,さらに 72年には西ドイツ=ソ連条約,西ドイツ=ポーランド条約が批准され,ベルリンに関する四大国協定が発効し,また東西ドイツ基本条約が成立,73年には東西両ドイツの国連加盟が実現した。 89年になって,ソ連の改革,東欧諸国の民主化を受け,東ドイツが 11月にベルリンの壁を開放,ドイツ再統一は現実の問題として急浮上した。 90年7月に通貨が統一され,10月には東ドイツが西ドイツに編入するという形で統一された。

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