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ヌメイリ Nimeiri, Gaafar Mohamed el-

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヌメイリ
Nimeiri, Gaafar Mohamed el-

[生]1930.1.1. オムドルマーン
[没]2009.5.30. オムドルマーン
スーダンの軍人,政治家。ニメイリとも呼ばれる。ハルツーム陸軍士官学校卒業後,職業軍人となり,1969年5月のクーデターによってイスマイル・アル・アズハリの文民政権を打倒し,社会主義革命評議会議長として実権を握った。同 1969年10月首相,1971年10月の選挙で大統領となる。1972年3月には南部の分離主義勢力と和平協定を結んで,17年にわたるスーダンの南北対立を解消した。1977年大統領に再選。1979年10月クーデター未遂事件で負傷。1983年9月にイスラム法(シャリーア)の全国実施を強行したため南部のキリスト教徒が強く反発し,再度の内戦を招いた。1985年4月,訪米中にスワール・アル・ダハブ中将の無血クーデターにより失脚。エジプトに逃れ 14年間の亡命生活を送った。(→スーダン内戦

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヌメイリ
ぬめいり
Ja‘far Muhammad al-Nimairi (Numeiri)
(1930―2009)

スーダンの軍人、政治家。郵便配達人の息子としてオムデュルマン郊外に生まれ、陸軍士官学校を卒業。エジプト、リビア、西ドイツ、アメリカなどに留学。1969年5月クーデターにより政権を握り、革命評議会議長に就任。1971年の左派クーデターで一時失脚するが、リビアなどの支援でただちに政権に復帰し、共産主義者を粛清するとともにスーダン社会主義連合の一党制によって基盤を固め、大統領に就任。1972年には17年も続いた南部反政府勢力との武力紛争を解決するなど政治的手腕を示した。しかしその後しだいに失政が目だつようになり、南部との関係も悪化し、反政府勢力の圧力が強まるなか、1985年4月の軍部クーデターで失脚し、エジプトに亡命した。禁止されていた政党活動が解禁されたのを受け、1999年5月に帰国し、2000年12月の大統領選挙に人民労働勢力同盟(APWF)から出馬したが、現職のバシールOmar Hassan Ahmed al-Bashir(1944― )に大差で敗れた。[小田英郎]

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