日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハルトゥーム」の意味・わかりやすい解説
ハルトゥーム
はるとぅーむ
Khartoum
アフリカ北東部、スーダンの首都。青ナイル川と白ナイル川が合流する地点の青ナイル川左岸に立地し、対岸のハルトゥーム・ノース、白ナイル川対岸のオムデュルマンとあわせて首都圏を構成する。人口92万4505(1993)。河川交通はもちろん、北のエジプト国境の町ワディ・ハルファ、北東の紅海沿岸の町ポート・スーダン、南西のオベイドなどとは鉄道や道路で結ばれており、また郊外には国際空港もあり、スーダンの交通、経済、政治、文化の中心となっている。背後の農村地帯では、綿花をはじめ大麦、小麦、果実などが生産され、それらの集散地であるとともに、一部加工工業も立地している。
1821年、エジプトの太守ムハンマド・アリーがスーダンに侵攻し、この地に首都を置いた。その後はエジプトヘ物資や奴隷を送る交易によって急速に発展した。しかし、1883年、スーダン人ムハンマド・アフマドがイスラム教の救世主マフディーを名のり、オベイドを中心に勢力を得てエジプト軍を撃破し、85年にはハルトゥームの攻防でイギリス軍のゴードン将軍を倒し、この町を占領した。エジプトはスーダン支配から手を引いたがハルトゥームは破壊された。しかし、98年にはマフディー軍はイギリス軍に敗れ、以後、1956年の独立までイギリスの支配下に置かれた。ハルトゥームはこのときから近代都市として再建され今日に至っている。
[端 信行]