ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ハレンキルヘ」の解説
ハレンキルヘ
Hallenkirche
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…それは後期ゴシック美術として都市環境をよく反映し,まず単純化,縮小化がおこなわれる。教会堂建築はバシリカ形式の場合は2層構成にむかい,ことにドイツ的な形式であるハレンキルヘが推進され,これが14世紀末から圧倒的になる。ハレンキルヘはマールブルクのエリーザベト教会を最初とし,ついでミンデンの大聖堂(1270),ゾーストの聖母教会(1340)など,ウェストファーレン地方からラインラントに及び,全ドイツにひろまっているが(シュウェービッシュ・グミュントの聖十字教会,ニュルンベルクのザンクト・ロレンツ教会内陣,ランツフートのシュピタールキルヘ,ピルナの聖母教会,アンナベルクの聖アンナ教会,ウィーンの大聖堂ザンクト・シュテファンなど),この形式では3廊のボールト天井の高さがひとしく,1個の広間をなす単一空間に統一され,説教や講話に適当な教会堂をつくっており,高い窓にかこまれ,細身の石柱は直接にボールトの条線に連なり,ここに複雑な星状ボールトや網状ボールトが美しいデザインを示す。…
…しかしシュトラスブルク(1235ころ起工)やケルン(1248起工)のように北フランスのサン・ドニ修道院やアミアン大聖堂の影響を直接受けるのはむしろ例外に近く,多くはマールブルクのエリーザベト教会(1283献堂)やトリールの聖母教会(1243献堂)にみるように,ゴシックの要素を用いながらも,ドイツ固有の広い堂内空間の創出へ向かう。なかでも身廊と側廊とを同じ高さにしたエリーザベト教会のハレンキルヘ形式は,以後のドイツ・ゴシック教会堂建築の主流となって,ことに14,15世紀のパルラー家の手になるシュウェービッシュ・グミュントの聖十字架教会(1351起工)やコリーンKolinのザンクト・バルトロメウス教会(内陣,1360‐85),シュテットハイマーH.Stetheimar(Stettheimer)によるランツフートのザンクト・マルティン教会(1392以前起工)へいたるドイツ特殊ゴシックの出発点となった。また11,12世紀以降ドイツ騎士修道会領として栄えた北ドイツでは,石材の少ないことから煉瓦建築が発達し,ハンザ都市の市民文化の興隆とあいまって広大な堂内空間をもつ建築群が成立した。…
…大聖堂St.Maria,St.Liborius und St.Kilianの西正面にはウェストファーレン地方に多くみられる堂々とした内陣塔がそびえ立つ。内部は13世紀中葉にハレンキルヘに改造された。多くの彫刻装飾が見られる。…
※「ハレンキルヘ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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