バンダル
ばんだる
Wandalen ドイツ語
民族大移動期に活躍した東ゲルマン系の混成集団。ハスディンガ人やシリンガ人が中心となって形成された。紀元前1世紀ごろオーデル川上流域に定住していたが、しだいに南下して、紀元後3世紀後半ドナウ川中・下流域に移った。406年、ゴデギゼル王に率いられてライン川を渡り、ガリアに侵入し、409年にはピレネー山脈を越え、スペインに移った。遅れてスペインに侵入してきた西ゴート人に圧迫され、429年、ガイセリック王の指導のもと、一団となってアフリカに渡り、北アフリカを征服してバンダル王国を建てた。
その後ガイセリックはシチリア島をも占領し、ローマを略奪するなど、西地中海地域を制圧し、巧妙な外交政策を展開して、一時、西方世界のゲルマン系諸国家間で覇を唱えたが、その死(477)後バンダル人は衰勢に向かった。533年、ビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世は、バンダル王国内の勢力対立を利用して、将軍ベリサリオスの指揮する遠征軍を送り、王国を滅ぼした。
[平城照介]
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世界大百科事典(旧版)内のバンダルの言及
【ゲルマン人】より
…そのためシュタムの多くは,タキトゥス時代のキウィタスに比し,実力ある特定の王または王族,特に軍指揮者を中心とした政治的・軍事的統制力の強い部族集団という性格を帯びていた。こうして4世紀に入ると,ゲルマン人の全体は,大きく分けて東ゲルマン,西ゲルマン,北ゲルマンの三つの部族群に分類されることとなるが,中でも東ゲルマン群に属する諸部族,すなわち東ゴートOstgoten(Ostrogothae),西ゴートWestgoten(Visigothae),バンダルVandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobarden等のシュタムの中へは,現在のロシア南部,東方ステップ地帯にいた種々の異民族・異人種の要素が色濃く混入したため,そこではいち早く騎馬を重視し弓矢を重視する東方独特の兵制,装備,戦術がとりいれられ,さらに古い首長制の代りに,軍王的性格をもつ新しい王権の伸張をみた。やがて民族大移動期に展開する東ゲルマン諸部族のあの活発かつ遠距離への迅速な移動の可能性は,一つにはこうした歴史的背景があったせいである。…
【民族大移動】より
…その一つは,移動前,ゲルマニアの東部にいた東ゲルマン諸族,次はその西部にいた西ゲルマン諸族,そしていま一つは北方スカンジナビア半島やユトランド半島にいた北ゲルマン諸族である。東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,[ノルマン人]の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」