パンノニア(読み)ぱんのにあ(英語表記)Pannonia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パンノニア」の意味・わかりやすい解説

パンノニア
ぱんのにあ
Pannonia

古代ローマ帝国の一属州ドナウ川サバ川に囲まれた現在のハンガリー西部とセルビアクロアチアスロベニアオーストリアなどの一部をさす。呼称は、ローマ征服前の定住民であるイリリア人をローマ人がパンノン人とよんだことに由来する。オクタビアヌス(ローマ初代皇帝アウグストゥス)がその服属を企て、2代皇帝ティベリウス(在位14~37)の時代に実現した。アクインクムなどの城塞(じょうさい)は植民都市としてローマ文明を謳歌(おうか)した。東方諸部族の侵入、フランク人の支配などを経て、896年マジャール人(ハンガリー人)がこの地に入った。

[家田 修]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パンノニア」の意味・わかりやすい解説

パンノニア
Pannonia

古代ローマの属州。北東にドナウ川が流れ,南はダルマチアに接し,現在のオーストリア東部,ハンガリー西部,旧ユーゴスラビア一部から成る。前 35~33年頃ローマの征服が開始され,前 14年頃サバ河谷の要衝シルミウムの攻略とともに完了。しかし6年には反乱が起き,一時はハンニバル侵入以来の危機をローマにもたらした。 10年属州イリュリクムの一部から独立の州となり,106年上・下パンノニアに分割されたが,前者マルクス・アウレリウス帝 (在位 161~180) の治世を通じ,マルコマンニ族との激戦地となった。住民の多くはイリュリア人で,2世紀頃まで独自の文化を保ったが,ローマの植民化が進み,2~3世紀には,ローマ軍はこの地で編成された軍団によるところが大となり,軍人皇帝も何人か擁立された。テオドシウス1世の治世中,東ゴート人に占領された (395) 。

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