ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アウレリアヌス」の意味・わかりやすい解説
アウレリアヌス
Aurelianus, Lucius Domitius
[没]275. ビザンチオン近郊
ローマ皇帝(在位 270~275)。ダキアの庶民出身。職業軍人として身を立て,268年ガリエヌス帝を倒した軍隊蜂起で中心的役割を演じ,クラウディウス2世ゴティクスを帝位につけた。クラウディウスによって騎兵の総指揮をゆだねられ,ゴート人と戦って偉功を立て,クラウディウスの死後,その弟クインチルスの 3ヵ月支配に取って代わり即位。まず北方からの蛮族の侵入に対処し,パンノニアでバンダル族とサルマチア人を破り,イタリアに来襲したユツンギ族を撃退してドナウ川対岸まで追跡した。その後,ローマを訪れ,高さ 6m,延長約 20kmのアウレリアヌス城壁を構築して首都の防衛を固めた。また約 10年間パルミラの領有下に置かれていた東方属州の回復をはかり,年少の息子ウァバラツスの女摂政としてパルミラの実権を握っていたゼノビアを 272年秋,シリアのアンチオキア付近とエメサで破り,パルミラを陥落させた。翌 273年パルミラが再び反乱を起こすと,これを攻略,壊滅させた。274年西方に帰り,ガリア,ヒスパニア,ブリタニアを支配していた対立皇帝テトリクスの討伐に向かった。しかしテトリクスが帰順したため,裏切られた軍隊はシャロンの戦いで全滅し,いわゆるガリア帝国はローマ帝国に還元された。275年ペルシア遠征に赴いたが,軍隊の暴動によって殺された。有能な将軍,厳正な統治者で,40年間乱れた帝国の統一を回復し,「世界の回復者」restitutor orbisとたたえられた。庶民への穀物給与の増額,幣制改革を行ない,諸宗教の上位に常勝太陽神(→太陽神)の礼拝を国教とした。キリスト教迫害の企図はその死によって実行されなかった。
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