バートゴーデスベルク綱領(読み)バートゴーデスベルクこうりょう(英語表記)Godesberger Programm

改訂新版 世界大百科事典 の解説

バート・ゴーデスベルク綱領 (バートゴーデスベルクこうりょう)
Godesberger Programm

1959年にボン郊外のバート・ゴーデスベルクBad Godesberg党大会で採択されたドイツ社会民主党SPD)の基本綱領で,今日でも有効である。戦後初の基本綱領で,これをもって理論上も,階級政党から国民政党への転換が図られた。マルクス主義の強い影響を受けたエルフルト綱領(1891)の伝統からの完全な決別だといわれている。この綱領を貫く思想は四つに集約される。第1は労働者階級が市民として民主国家に統合され,国家の決定に共同参加していくという思想である。第2は思想の多元化である。階級政党から国民政党への転換は,マルクス主義を完全に追放したことを意味せず,民主的な複数の思想の共存が認められるのである。第3は労働者階級と国防軍,カトリック教会との歴史的和解である。第4は社会化即社会主義という信仰からの解放であり,社会的な競争的な市場経済へのアプローチが明確になる。民主主義の評価がなされるとともに,自由,公正,連帯の3概念は綱領の中で基本価値となった。
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百科事典マイペディア の解説

バート・ゴーデスベルク綱領【バートゴーデスベルクこうりょう】

1959年11月,バート・ゴーデスベルクBad Godesbergで開かれたドイツ社会民主党特別大会で採択された綱領。それまでの党の基本原理であったマルクス主義との分離を明らかにして,企業の一定限度の自由競争承認,政治的民主主義の擁護を打ち出した。

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世界大百科事典(旧版)内のバートゴーデスベルク綱領の言及

【ドイツ社会民主党】より

…52年シューマッハーの死後,オレンハウアーが後継者となるが,前者の時代が党再建の時代であれば,後者のそれは停滞と模索と転換の時代と特徴づけられる。SPDの低迷を救う転換の基礎となったのは59年のバート・ゴーデスベルク綱領である。これによってSPDは国民政党を指向し,西側統合政策,国防軍を肯定する。…

【ドイツ連邦共和国】より

…59年にはSPDの基本路線に大変更が加えられた。この年同党はバート・ゴーデスベルク綱領を採択,マルクス主義から決別し,国民政党として再出発する。61年には西ベルリン市長ブラントが首相候補者に指名され,SPDの政策,指導陣は刷新されることになった。…

※「バートゴーデスベルク綱領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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