エルフルト綱領(読み)エルフルトこうりょう

精選版 日本国語大辞典 「エルフルト綱領」の意味・読み・例文・類語

エルフルト‐こうりょう‥カウリャウ【エルフルト綱領】

  1. ( エルフルトは[ドイツ語] Erfurt ) 一八九一年、ドイツ社会民主党がドイツ中部のエルフルトで開いた大会で、マルクス主義立場から資本主義社会発展法則と党の役割を明らかにした基本方針

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改訂新版 世界大百科事典 「エルフルト綱領」の意味・わかりやすい解説

エルフルト綱領 (エルフルトこうりょう)

1891年10月,ドイツのエルフルトで開かれたドイツ社会民主党大会で採択された綱領。それまでのゴータ綱領に代わるもので1921年まで有効であった。内容上2部から成り,第1部は〈ブルジョア社会の経済発展〉が〈階級闘争〉を必然的に激化させること,全人類の解放は〈生産手段の資本主義的私有を社会的所有に転化〉することなしには不可能で,そのためには〈労働者階級は政治権力を獲得しなければならない〉という原則を明らかにする。第2部は普通選挙権,人民の直接立法,8時間労働日,団結権といった当面の要求15項目を挙げている。基礎となった草案はカウツキーベルンシュタインが書いた。彼らに助言を与えたエンゲルスにとってなお不満が残ったが,この綱領はドイツ社会民主党がマルクス主義を党是とするにいたったことを示すものであり,同時代の日本を含む各国の社会民主党の範とされた。1921年9月のゲルリッツ綱領は,これに対し,階級闘争の観点を後退させている。
アイゼナハ綱領 →ゴータ綱領
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルフルト綱領」の意味・わかりやすい解説

エルフルト綱領
えるふるとこうりょう
Erfurter Programm

1891年10月、ドイツ社会民主党のエルフルト大会で採択され、1921年のゲルリッツ綱領にかえられるまで同党指針となった綱領。綱領は、同党の前身ドイツ社会主義労働者党のザンクト・ガレン大会(1887)の決議に基づき、草案に寄せたエンゲルスの批判をも受け入れ、原則的部分をカウツキー、実践的部分をベルンシュタインが起草し、全体としてほぼマルクス主義によって貫かれている。原則的部分では、ブルジョア社会の経済的発展が自然必然的に生み出す諸矛盾と、労働者階級による政治権力の獲得の必要性が説かれ、実践的部分では、普通・平等・直接選挙権など10項目、および8時間労働など5項目の労働者保護政策が要求されている。

[松 俊夫]

『カウツキー著、都留大治郎訳『エルフルト綱領解説』(『世界大思想全集 第14巻』所収・1955・河出書房)』『エンゲルス著、村田陽一訳『1891年の社会民主党綱領草案の批判』(『マルクス=エンゲルス全集 第22巻』所収・1971・大月書店)』

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百科事典マイペディア 「エルフルト綱領」の意味・わかりやすい解説

エルフルト綱領【エルフルトこうりょう】

1891年ドイツ社会民主党のエルフルトErfurt大会で採択されたカウツキー起草の党綱領。ゴータ綱領に代わるもの。理論的部分では階級闘争,国際的連帯による社会主義社会建設を提唱したが,現存秩序内での漸進的改革など具体的要求部分との矛盾をエンゲルスに批判された。
→関連項目エルフルト

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エルフルト綱領」の解説

エルフルト綱領(エルフルトこうりょう)
Erfurter Programm

1891年にドイツ社会民主党のエルフルト党大会で採択されたカール・カウツキーの起草になる党綱領。その理論的部分はマルクス主義に立脚して,大衆の窮乏化,階級闘争の必然性や国際的連帯を説き,党の闘争の究極目的は革命による社会主義の建設にあるとする。他方,具体的な要求を述べた部分では,現存の秩序の中での労働者の政治的・経済的地位の向上のため,普通選挙,団結権などの要求を掲げており,究極目的との矛盾が見出される。共和政の要求が欠けている点などはエンゲルスにより批判された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エルフルト綱領」の意味・わかりやすい解説

エルフルト綱領
エルフルトこうりょう
Erfurter Programm

1891年ドイツ社会民主党がドイツ中部のエルフルトにおいて採択した綱領。それはゴータ綱領のラサール主義を完全に拭い去るために制定したものであって,原則綱領と行動綱領との2部から成り立っていた。前者は K.カウツキーによって執筆され,党の任務を,『資本論』に基づいて理論的に宣明したものである。また後者は主として E.ベルンシュタインによって執筆され,政治的民主化の要求,税制改革,労働条件の改善などをうたったものである。全般的にみると,マルクス主義的な綱領であるが,革命的ではなくて,改良主義的であったといえる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「エルフルト綱領」の解説

エルフルト綱領
エルフルトこうりょう
Erfurter Programm

1891年にドイツ社会民主党のエルフルト大会で,ゴータ綱領に代えて採択された綱領
起草はカウツキーら。マルクス主義にもとづき,同党の理論と課題を明らかにした。1921年,ゲルリッツ綱領により廃止された。

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世界大百科事典(旧版)内のエルフルト綱領の言及

【社会主義】より

… ドイツでは,ラサールを指導者として労働者階級に基盤をおいた全ドイツ労働者協会が1863年に結成されていたが,69年にはマルクスの影響を受けたベーベルやリープクネヒトが社会民主労働党を設立した。この党は,宰相ビスマルクの社会主義者鎮圧法と社会主義を懐柔しようとした社会福祉政策にもかかわらず発展をつづけ,社会主義者鎮圧法が廃止された後の1890年には,さらに党名をドイツ社会民主党と改め,翌91年にはラサール主義を排して〈階級支配と階級そのものの廃絶〉を目標にしたマルクス主義的なエルフルト綱領を採択した。この党は第1次大戦前の最後の選挙となった1912年の選挙では,425万票,全投票数の3分の1以上を獲得して,ドイツ帝国議会で最強の政党となった。…

【ドイツ社会民主党】より

…合法活動の許されていた帝国議会選挙において,90年に同党は得票率では早くも第一党(19.7%)になっている。 同年9月,社会主義者鎮圧法が失効すると,同党は党名をドイツ社会民主党と変え,ベーベル,ジンガーPaul Singer(1844‐1911)を中心とする指導部を選び,翌91年には明確にマルクス主義に基づくエルフルト綱領を採択して,新たな合法活動に備えた。その後,さまざまな法的・社会的規制にもかかわらず,同党が大衆政党に成長していったことは,党員数が1905年に38万5000人,13年には108万5000人に伸びたことが示している。…

※「エルフルト綱領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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