コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

パイジェロ Paisiello, Giovanni

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パイジェロ
Paisiello, Giovanni

[生]1740.5.9. タラント
[没]1816.6.5. ナポリ
イタリアの作曲家。 1755~59年ナポリのサント・オノフリオ音楽院に学び,63年以来オペラ作曲家として活躍。 76年よりペテルブルグでロシア女帝エカテリーナ2世に仕え,『セビリアの理髪師』 (1782) などを上演。 84年ナポリに戻りフェルディナンド4世の宮廷楽長となり,数多くのオペラを発表。 1802~03年ナポレオンに仕えたため,革命後おもな地位を奪われ,不遇な晩年をおくった。『水車小屋の娘』 (88) ,『ニーナ』 (89) ほか 100曲以上のオペラと宗教曲,器楽曲を残した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

パイジェロ

イタリアの作曲家。パイジェッロともいう。イタリア南部のターラントに生まれ,ナポリの音楽院で学ぶ。同地でオペラ・ブッファ(オペラ)の作曲家として名を上げ,1776年−1784年エカチェリナ2世に招かれてペテルブルグの宮廷楽長を務める。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

パイジェロ【Giovanni Paisiello】

1740‐1816
18世紀後半を代表するイタリア喜歌劇の作曲家。ナポリで教育をうけ,喜歌劇(オペラ・ブッファ)の作曲家として名声をあげたのち,1776年ロシアのエカチェリナ2世から宮廷楽長として招きを受け,84年まで同地にとどまった。その間に発表したのが,軽妙で劇的効果に富む《セビリャ理髪師》(1782)である。この曲は,のちにロッシーニが同一題材を取り上げるまで揺るぎのない名声を保った。事実ロッシーニは,多くの着想をパイジェロから受け継いでいる。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のパイジェロの言及

【セビリャの理髪師】より

…数多くの作曲家がオペラ化しているが,次の2作が有名である。(1)ロシアのエカチェリナ2世に宮廷作曲家として仕えていたイタリアの作曲家G.パイジェロが1782年ペテルブルグで初演した2幕4場のオペラ。D.O.ペトロセリーニの台本による。…

【ロシア・ソビエト音楽】より

… 1730年代に入ると,ロシアの宮廷に直接西欧から音楽が輸入され始めた。1735年以来長くロシアに滞在したイタリアの作曲家アラヤFrancesco Araja(1709‐70?)を草分けとして,ガルッピBaldassare Galuppi(1706‐85),トラエッタTommaso Traetta(1727‐79),パイジェロ,サルティGiuseppe Sarti(1729‐1802),チマローザといった一流のイタリア人作曲家が,エカチェリナ2世(在位1762‐96)の宮廷楽長としてペテルブルグに滞在した。イタリアをはじめ西欧から多くの音楽家が雇われて,ロシアの宮廷や大貴族の下で演奏やロシア人音楽家の教育に当たった。…

※「パイジェロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

パイジェロの関連キーワードエカチェリナ[2世]フェルディナンドナポリ楽派チマローザセビリア

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android